つながれて動いてゆく、見えない仲間のカドリールがあるという陽気な気がした。
「ここは、まるでノアの箱舟ね」
 ひろ子が、笑って云った。
「何でも一応あるのね、あんなに大きい髯まであったわ。気がついたでしょう?」
「ほんと」
 眠って軟くまるまる純吉をゆりあげながら牧子も笑った。そして、二人は明るいとき通ったほこりの深いゴロタ石の道を駅に向った。先へゆく一団の中に懐中電燈をもっている人があって、その蒼い光の条《すじ》が、ときどき前方の木立の幹や草堤の一部をパッと照らし出した。

        六

 重吉の左脚の筋炎は、一週間ほどして段々納まりはじめた。日当りのいい八畳に臥ている重吉の湿布をとりかえながら、
「こんどの足いたは、可哀想だったけれど、わるいばかりでもなかったわねえ」
 ひろ子が、云った。
「こんなにして、昼間、しずかに臥ていらっしゃると、しんから休まるでしょう?」
「たしかに、そういうところはあるね」
「世話するものがついていて、すこし工合をわるくして臥ているというようなきもちなんか、あなたとしてこんどがはじめてなのねえ」
 そういうことのほかに、幾日も外出しないで重吉がうちにいるということは、ひろ子にとっていろいろの意味をもたらした。
 自立会へ行った翌々日、卓の上に飾っていた牧子からの白い小菊の水をとりかえていると、臥ている重吉が、彼の公判に関係のある古い書類を出すように云った。
「在るんだろう?」
「それはとってあるわ」
 そう云いながら、余りしまいこんでいて、その紙ばさみがなかなか見つからなかった。ベッドのしまってある奥の小部屋で、いくつもの包みの紐をといて見ているうちに、必要な書類が出るより先に、一つの大型ハトロン封筒が出た。裏に、文学報国会と紫のゴム印が捺されてある。封筒の中にはひろ子の小説をうつした原稿が入っていた。
 見つかった書類と一緒に、ひろ子はその封筒をもち出した。そして、重吉の仕事が一段落ついたとき、
「こういうものが出たわ」
 その封筒を見せた。
 裏をかえしてみて、重吉は、
「文学報国会とあるじゃないか、何だい」
と云った。
「なかを見てよ」
「その日の雪」という題と名だけはひろ子の自筆でかかれている三十枚ほどの小説を、重吉は怪訝そうに、ところどころよんだ。
「誰かに写させたのかい?」
「文学報国会で、戦争中、作品集を出す計画があったんです。そのとき、わたしも会員だったから、作品一篇自選しておくれと云って来たの。それを送ったら、都合によってお返しするとかえして来たのよ」
「ひろ子が自分から送ったのか」
「ええ」
「わざわざ写させてか?」
「そうなの」
 重吉は、口元に一種の表情をうかべて、少し念入りにその原稿を見直した。
「婦人雑誌に、何だか中途半端な小説をいくつか書いていたときがあった、あの一つだね」
「そうなの」
 原稿を床のそとの畳へ放り出すように置いた。
「ほかの人達もみんな出したのか」
「そうでしょうと思うわ」
「そして、その本は出たのかね」
「どうなのかしら――わたしは見たことないけれど……」
 重吉はしばらく黙って、ひろ子の顔をまじまじと見つめた。ひろ子も、その重吉の二つの眼が、ふだんとちがって濃い睫毛に黒くふちとられた四角い二つのまなことなって自分の上にあるのを見ていた。
「ひろ子、覚えているかい? 俺が、文学報国会なんてものは脱退しろ、とあんなに云ったとき、何てがんばったか。――あなたには外の様子が分らないからって、がんばったんだぜ」
 そのときのいやさが忘られないように、重吉はひろ子の口真似をして云った。
「そうなのよ。だから、わたし、この封筒もお目にかける気になったの」
「わからないことがあるもんか――ちゃんとわかっていたじゃないか。――会費を送るのはやめたかい?」
「やめたわ。それは大抵の人がやめたでしょう」
 もと文芸家協会として組織されていたものが、団体ぐるみ文学報国会というものになって、会員の一人だったひろ子も自然そこにひっくるめられていた。
 またしばらく黙っていたのち、重吉がいかにも笑止千万という顔つきで、
「この小説、もしもさきでことわって来なかったら、ひろ子はのせていいと思ったのかい」
「のせたい、と思ったのじゃあないのよ。のせた方がいいだろう、そう思ったのね。あの時分……」
 そのことが話したくて、ひろ子は、その封筒も重吉の前に持ち出したのであった。戦争が進み、情報局がすべての文化統制を行って、文学者やその作品をすっかり軍用に統一しはじめた頃、ひろ子たち一群の作家は、不安な状況に陥った。一九四一年の一月から、ひろ子ははっきり作品発表を禁止されて、それからは却って、立場も心もちもきっちり定った。生活万端いかにも苦しいけれども、自分は自分なり、と落付くところがあった。それまでの一年間ばかりはすべてが不安定で、ひろ子は、自分だけが、例えば文学報国会を脱退することで、一層くっきりと目立って孤立することがこわかった。防空壕にたった一人で入っているより多勢といたいこころもちがあった。文学の分野でも、情報局の形をとった軍部の兇悪な襲撃を、たった一人で、我ここに在りという風に、受けとめる豪気がひろ子にはなかった。みんなのいるところに出来るだけ自分も近くいたいという人恋しさがあった。けれども、重吉が、笑止千万という表情でひろ子を見るとおり、ひろ子のそんなこころもちは、書くものを御用に立てない以上、役人にとっても笑止千万なことであったろう。その頃文学報国会の役人は、もう文学者ではなくて、役人どころか情報局の軍人が入って来ていた。
「あのころ、ひろ子が、つべこべ云うのが、不思議でたまらなかった。実にはっきりしているんだもの。どうして、自分の亭主の頸に繩をかけているものを一緒んなってひっぱるようなことをするんだろうかと思った」
「私もそう思うわ。だから、あなたは、よくああいう風におだやかに云っていらっしゃれたとびっくりするの」
 面会のとき、文学報国会を脱退するしないの話が出た時、重吉は、おだやかにそのことを云い、ただ、おどろくばかりの根気づよさで、それをくりかえした。きょうも。あしたも。又その次に会ったときも。ひろ子が、遂に云いわけや口実をこねくりまわす余地がなくなる迄くりかえした。
「わたしが、本当にすっきりしたのは、あなたの公判をずうっと一緒にやって行って、それが終ったときだっと思います。――手紙にも書いたわねえ」
「うん」
「前から、いつも云っていたでしょう? 自分という船の自分のコースがしっかり出来たら、どんなにいい気持でしょうって。岸沿いに、岸の灯にひきよせられたり、そうかと思うと濤《なみ》に押しのけられたりしていないで、水の深い沖を自分のコースに従って堂々進行する船になりたいって。――あなたの公判がすんで、江波土に行ったことがあったでしょう。あのとき、はっきりわかったのよ、自分がいつの間にかもう沖へ出たことが。自分のコースというものはもう辿られていたことが分ったの。……だから、わかるでしょう? 私がどんなにあなたの力漕《りきそう》をありがたく思ったか」
 ひろ子の妹が、疎開して、夷隅川のそばの障子も畳もない小屋に菰垂《こもだ》れの姫というような暮しをしていた。ひろ子はそこで、潮の香をかぎ、鯨油ランプの光にてらされる夜、濤の音をきき、豆の花と松の若芽の伸びを見ながら、井戸ばたでよごれた皿などを洗って数日くらした。その数日は、それまでの数年間のくらしの精髄が若松のかおりをこめた丸い露の玉に凝って、ひろ子の心情に滴《したた》りおちるような日々であった。
「――チェホフが、おくさんのクニッペルにやった手紙およみになった?」
 ひろ子は、封筒の中へ、原稿をしまいながら、重吉にきいた。
「今おぼえていないな」
「チェホフは、しゃんとした人だったのねえ、クニッペルに、芸術家としてお前自身の線を出せ、自分の線を発見しろ、とくりかえし云っているのよ。――でも、私はつくづく思ったわ。クニッペルにはおそらく特色とか個性とかいう位にしかうけとられなかったでしょうと。――ある芸術家の線なんて、全く歴史的だわ、ねえ。線としてまとまる要素なんかほんとに複雑だわ。しかし、まとまるためには微妙きわまる媒介体がいるのよ。それは、理窟じゃないわ、ただの理窟じゃないわ。実に人間らしい情理が一つになったものだわ――そうでしょう?」
 重吉の床のわきで羽織のほころびをつくろいながら、ひろ子はそんなことを熱心に話した。もう重吉は、つぎは俺がしてやると云わず、よみかけの書物を枕のわきに伏せながら、仰向きにねていた。

        七

 十日ほど重吉が引こもっていたうちに、丘と丘の間にある自立会に向って、四方から流れよって来ていた力が、渦になって、そろそろと仕事の中心を、市内へ押し移しはじめた。
 ある朝、出がけに、重吉はひろ子に一枚の紙きれをわたした。
「こんど事務所がそこになるんだよ、きょう、昼ごろ、弁当とどけて貰えるだろうか」
「この新しい方へ?」
「ああ」
「いいわ」
 紙きれには鉛筆であっさり地図がかかれていた。元電気熔接学校というところが赤旗|編輯局《へんしゅうきょく》と示されている。
「この地図頂いておいていいの? あなたは大丈夫?」
「大丈夫だ。代々木の駅からすぐだよ、二本目の道を来ると、左側だ」
 時間をはからって、ひろ子は弁当包みをもって代々木駅に降りた。ごくたまに乗換のとき、しかもひろ子の記憶では、のりまちがえて間誤付きながら乗りかえるようなとき、二三度のぼりおりしただけの代々木駅の前に立って、地図のいう二本めの道をさがしたが、はっきり見当がつかなかった。やや暫く立っていて、ひろ子にはそれが二本めと思えたアスファルトのひろい道を左へ歩き出した。じきだというのに、左側にそれらしい建物もなくて、人家らしいものはなくなり、ガードと、神宮外苑の一部が見えはじめた。ひろ子は、心細くなってリアカーを曳いた男と立ち話をしていたエプロン姿のお神さんに、電気熔接学校と云って訊いてみた。そこのガードをくぐって左へ出ると、ロータリーと交番があって、そこを又左へとおそわった。その辺はすっかりやけ原で、左手にいくらか焼けのこった町筋がある。そちらへ辿ってゆくと、右手にコンクリートの小ぶりな二階建が見えはじめた。重吉は左側だと云った。だのに、右側にあるのがそれらしい。半信半疑に近よったら、長方形の紙に、赤旗編輯局とはり出されて、両開きのガラス戸の入口がしまっていた。
 赤旗編輯局。――ひろ子は、その字がよめる距離から入口のドアをあけるまで、くりかえしくりかえし、その五字を心に反覆した。これまで、日本ではただの一遍も通行人に読まれたことのなかった表札であった。赤旗という新聞を知っているものも、その編輯局と印刷局が、どういうところにあるのかは知っていなかった。人々が十数年前、どこか市内の土蔵の地下室にその印刷所があったことを知ったときは、スパイによってその場所があばかれ、当時活動していた重吉たちすべてに、事実とちがう誹謗の告発がされた時であった。ひろ子の文学上の友人で、その頃、印刷所関係の仕事をしていた詩人があった。このひとは、十一年後の十月十日に解放された。重吉たちはもとより、とりわけその友達が、こうして大きく貼り出されている表札をよんだとき、涙は彼のさりげない笑いの裡にきらめいただろうと、思いやった。一枚の赤旗のために、それをもって女がつかまれば、陰毛をやかれるような拷問を受けた。それを知っていて、女は、やはり赤旗をもって歩きもしたのであった。
 ひろ子は、これまで開けたことのなかった大きな箱のふたでもとるように、丁寧にそっと入口のガラス戸を押して入った。入ったばかりの右手に受付のようなところがあって、つき当りは、薄暗いガランとした広土間であった。土間には太い柱がたっている。
 ひろ子は、その辺に誰もいないので、コトリ、コトリ下駄の音をさせながら、左手の階段を二階へのぼって行った。元は活
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