ない箇所が出て来た。
「これ、何処へつづくのかしら」
 下から消しの多い草稿をさし上げて見せた。
「ポツダム宣言の趣旨に立脚して……その次」
 行を目で追って、
「ここだ」
 重吉は、もっているペンで大きいバッテンをつけて見せた。
「今後、最も厳重に――」
「そこまでとぶの? 八艘《はっそう》とびね」
 二人は又無言になった。写し役のひろ子の方に段々ゆとりが出来て来た。晩の支度に階下へおりたり、お茶をいれたりしながら、仕事をつづけ、重吉は、わきでひろ子がそういう風に時々立ったりすることがまるで気にならないらしく、ゆったりとかまえ、しかも集注して、消したり書いたり根よく働いている。
 頬杖をついて、ひろ子はその雰囲気にとけこんだ。こんなに楽な、しかもしっとり重く実った穀物の穂をゆするようにたっぷり充実した仕事のこころもちを、経験したことがあったろうか。襖のあいている奥の三畳へ視線をやって、ひろ子は暫く凝《じ》っとそっちを眺めていた。北側の三畳の障子に明るく午後の日ざしがたまっていて、その壁よりに、一台の折りたたみ寝台が片づけてあった。三つに折りたたまれて錯綜して見える寝台の鉄の横金やとこ
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