ないみたいで……わかるでしょう?」
「そうしよう」
 それにつけても思いおこすという風で重吉は、
「――木暮の奴……」
と云った。木暮は、一九四四年頃どこかの刑務所から転任して巣鴨へ来た監獄医であった。病監での日常事で意見が衝突した重吉について、精神異状者という書類を裁判所へ出した。
「わたしはね、こんどこそ、本当にあなたを生かしたいと思って診てくれる人に診せたいの、いいでしょう?」
 十二年の間、重吉は彼を積極的に生かそうとする意志が一つもない環境の中で、猩紅熱《しょうこうねつ》から腸結核、チフスと患って、死と抵抗して来た。今度は、どうだろう、と、重吉の無言の格闘を遠まきに見まもられている裡で、死なずに生きて出て来た。吉岡に診ましょうと云われて、いきなり上着をぬいだ重吉が、ひろ子には犇々《ひしひし》とわかった。重吉はかえって来てから、自分が感じている善戦し責任を果した満足と歓喜とを、彼におとらない程度まで実感し、慶賀にみたされているいくつかの心があることを日ごとに発見しつつある。それは妻であるひろ子ばかりのことではなかった。歴史の野蛮な留金がはずされて、くりひろげられた世代の欲求のう
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