なかった重吉。そのために、例外のようにひどい判決をうけた重吉。その重吉が、急に世間並のしきたりの中に戻って来て、それをこんなに素直にうけとり、世話になるより、世話になられているという関係の知人にまで真心をもって、不器用に挨拶している。人の一生のうちにざらにある瞬間として感じてすぎることはひろ子にとっては不可能であった。
今、吉岡が、じゃあ拝見しましょうか、と云ったとき、重吉はいきなり背広の上着をぬいでしまった。それも、重吉がただ熱心に診て貰おうと思っていたからのこと。それだけに重吉のいくらかとんちんかんなその動作のこころを解釈するこころもちがしなかった。
吉岡純介は、重吉というよりは寧ろひろ子の親友の一人であった。結核専門で、そのためにひろ子は何度も重吉の体について相談して来た。一九四二年の夏、東京は六十八年ぶりとかの酷暑であった。前年の十二月九日、真珠湾攻撃の翌朝、そういう戦争に協力することを欲していない者と見られていた数百人の人々の一人として、ひろ子も捕えられ、珍しい暑い夏を、巣鴨の拘置所で暮した。皮膚の弱いひろ子は、全く通風のない、びっしょり汗にぬれた肌も浴衣もかわくというこ
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