てうつされた。やがて、この悪法は撤廃されることになって、画面に一つの力づよい手が現れて、特高と書いた塗札をひきむしった。検事局思想部の掛札も、もぎとって床にすてられた。画面にふたたび、府中刑務所のいかめしい正門が見えて来た。遂にこの扉の開かれる日が来ました、という言葉とともに、しずかに、ひろく一杯に刑務所の大門が開いた。急にカメラの角度がかわって、ひろ子たちの方へのしかかって来るように、その門の中からスクラムを組み、旗をかざし、解放された同志たちを先頭にした大部隊が進行して来た。真中に徳田、並んで志賀、その他ひろ子の顔も見分けられない幾人かの人たちが、笑い、挨拶の手を高くふりながらこちらに向って進行して来た。隊伍の足なみは段々精力的に高まって来て、ある角では出獄した同志たちが、肩車ではこばれる姿が見えた。或るところでは、体をうしろに反らせた駈足となり、幾本もの旗は列をとりまいてひらめき、わっしょ、わっしょという地鳴りのような声々とザッザッ、ザッザッと規則正しくふみしめる靴音は津波のように迫って、やがてその蜒々《えんえん》たる列伍は、歴史的な時間の彼方に次第次第と遠のいて行った。幾千人もの鼓動とともにはき出される、そのわっしょ、わっしょという力のこもった声と、ザッザッ、ザッザッという地ひびきとは、ひろ子を泣かせて、涙を抑えかねた。まわりでもこのとき泣いている人がどっさりあった。涙で頬をぬらしながら、なお、その身内をせき上げるような熱い轟きを追って画面に見入っているひろ子の心の視野に、丁度その隊伍の消え去ろうとするかなたから、二重映しになって一人の和服姿の男が、風呂敷包みを下げ、草履ばきでこちらに向って歩いて来るのが見えるような気がした。こちらに向って歩いて来る人物はぼっつりとたった一人である。しかし、その透明な体の影をつらぬいて、なおわっしょ、わっしょという、ときの声が響いており、ザッザッ、ザッザッという地ひびきはとどろいている。透明な影のように画面から歩み出し、しかし、くっきりと着ている紺絣までも見える人物は、出獄したばかりのイガグリで、笑っていてそれは重吉であった。重吉は一人で歩いている。「君たちは話すことが出来る」と、今は工場の広庭でかたまって話している人々の間を、重吉は歩いて来る。「君たちは話すことが出来る」円く集って話している女のひとたちのよこを、重吉は歩いて来る。ひろ子は、見ている画面が益々幾重にもなって、きのう見て来た代々木の事務所の入口に、かかげられていた横看板の字が、そこに浮んで来るように思えた。すこしくずした太い字で、日本共産党とかかれている。それは、いかにも大きい板をこしらえたどこかの土木業の誰かが勢こんで筆をふるったという風な文字で、肉太で、べろべろして、ちっとも立派ではなかった。しかし、その大看板が車よせの庇の上で、うららかな冬日を満面にうけているところは、粗野だが真情のある大きな髭男がよろこび笑っているような印象を与えた。通りから見あげて、ひとりでに口元がくずれ、昔の女が笑いをころすときしたようにひろ子は、元禄袖のたもとで口をおさえた。その玄関の中では、きのう、もう多勢の人たちが働いていた。重吉たちのように、のびかかったおもしろい髪で働いている人が少くなかった。まるで短かった重吉のイガグリは、ひろ子がさわると、ごく若い栗のいがのような弾力と柔かさで掌にこたえるように伸びて来ていた。そういう髪の人々が、いそがしそうにその建物を出たり入ったりしながら、第四回の、大会の準備をすすめていた。



底本:「宮本百合子全集 第六巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年1月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十巻」河出書房
   1952(昭和27)年6月発行
初出:「文芸春秋」
   1946(昭和21)年9〜11月号
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2002年6月25日作成
2007年7月239日修正
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