もしれないが、見ていると、実に日本の婦人の生活は過労です。気の毒にたえないほど疲れはてた状態だと思うんだが、どうですか」
 赤ちゃんを背中から膝の上にだきとり、さもなければ牧子のように一人わきに坐らせて、もう一人はおなかの中で今育てているというようなひとも幾人か加っている一同は、全く云われるとおりという面持で応えた。
「日本の男は婦人たちをもっと、しんから可愛がらなくちゃいかんと思うんです。婦人の生活が、もっと合理的になるように、過労しないですむように、大いに努力して、改善して行かなくちゃならない」
 そして、日本の社会の歴史の中で婦人がおかれて来た事情と、民主主義というものの、三つの段階と、それぞれの段階での婦人の立場が説明された。
 婦人ばかりがぎっしりつまった狭い室だが、開けはなされた二つの大窓から流通する光線と大気とは、すがすがしくて、秋の午後の清潔なぬくもりが室じゅうにとけている。窓からは遠く森や丘のつらなった外景と、その上の空が見えていて、風景は骨組の大きい一人物の肖像のバックをなした。深くはげ上ったかたい前頭。熱中して性急に話すにつれて、その主張をききての心の中へ刺しこもうとするように動き出す右の手と人さし指の独特な表情。引きしまって、ぼやついたところのない音声と、南方風なきれの大きい眦《まなじり》。話につれて閃く白眼。その顔のすべての曲線が勁《つよ》く、緊張していた。博い引例や、自在な諷刺で雄弁であり、折々非常に無邪気に破顔すると大きい口元はまきあがり、鼻柱もキューと弓なりに張っている。ひろ子は自分が美術家であったら、この、独特な、がっちりと動的に出来上った人物をどういう手法であらわすだろうと思った。一番ふさわしいのは、永年かかって、漆で塗りかためた乾漆であると思えた。顔全体が赧みがかった茶色で、眦を黒々と、白眼を冴えて鼻は大きく、そこにどんな雨がふりそそごうと、その雨は粒々になって鼻のさきや顎、額からころがりおちてしまって、ちっともしんはぬれもくさりもしない乾漆のつよさ。同時に、そとからの様々な意志に向っても屡々それをはじき返すだろうような一徹さ。それはだぶついていつも曖昧さを漂わせている日本の名士づらに鋭く対照する面構えである。
 この指導者が、縦横無尽という風に、ときに悪態さえ交えながら、しかも、婦人たちの本能的なつつしみには自然のいたわりをもっていて、荒っぽく、しかも淡白な話ぶりをもっていることに、注意をひかれた。この人の悪口は、火の中から出したばっかりの鉄《かな》ごてのようだ。あつくて、ジリッとし、やけどをさせ、また消毒力ももっている。その味は、雨の滴もころがり落ちてしみこめない漆ぬりの風貌全体と、一致していた。
 この人物をとり囲んで坐っている婦人たちは、何とぼんやりと軟かく、婦人たち、という一般性の中に自分たちの肉体と個性とをとかしこんでいるだろう。それにしても、一つ一つの顔は、人生の一つ一つを物語っており、婦人の様々な必要、希望、苦痛そのものの生きた姿として、そこにつめかけ坐っている。
「坊や、いい子でしょう、おとなに、お話きいてましょうね」
 もじつく子供にそう云って、その小さい肩へ片手をかけて、母たちは熱心に傾聴している。自分で自分を解決してゆこうと欲している。そういう熱意があふれ感じられた。
 ひろ子は、さっき建物のそとで待っているときにうけたと同じような感動を、一座の光景から感じた。婦人の集会でこれまでただ一度もこんなに公然と、しかも新しい社会の建設にともなう婦人の将来を話し合う場所はなかった。
 説明が終ってから、婦人の側からの発言が求められた。一座をみわたせば、そこに坐っているほどの女のひとたちは、みんな十分会合に馴れていると思えた。落付きのいい坐り工合が、それを語っていた。しかし、自分から発言する人はいなかった。そこに、すべての婦人が苦しく、ちりぢりばらばらにさせられて凌いで来た十数年の月日がてりかえされた。中国地方から来ていた一人のひとが、その地方の婦人の事情を報告した。ひろ子が名ざされて、一九三二年から以後の婦人の生活や文化の状況を短くまとめて話した。居合わせている婦人たちは、ひろ子が知っているよりもっと細部についてわかっている。けれども、十八年、監獄におかれた人は、それについて知っていて知っていないだろう。ひろ子は、そのことをことわって簡単に話した。
 段々座がくつろいで、いくつもの声が物を云いはじめた。二十歳をすこし出たばかりぐらいのふっくりとして愛らしい人と、速記をやってもう仕事をたすけている二十四五のひととが、臨時の書記にきめられた。数人のひとが、又この次日をきめて集るということになった。婦人に関係する綱領がつくられる仕事があった。
「長井さん、あなたが引こんでいるって
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