間に、こわらしい罪名をつけて、たった四畳の室へ何しに十二年もの間、押しこんで暮させたのか。そこにどんなよりどころがあったのか。権力だからそれが出来たというならば、その不条理が不審でたまらないのであった。
「もういいの?」
「ああ、もういい」
「――さっきの話――あの、がんばりのことだけれど、よく云って下すったわね」
重吉は、ちょっと改まった視線でひろ子を見ていたが、
「でも、さっきひろ子は泣いたんだろう」
いくらか、からかい気味に云った。
「それは泣いたわ。泣けるのがあたりまえよ。そうじゃないの。だから、よく云って下すったというのよ。これから、何でもあなたの気がついたことはみんな云って頂戴ね。これは本当のお願いよ」
手紙ばかりで暮した年月は、それらの手紙がどんなに正直であったにしろ、整理されたものであるにちがいなかった。その意味では、ひろ子が重吉に示す生活感情も計らぬきれいごととなっているとも思えた。
「わたしは、何でもよそゆきでなく自分があるとおりにするからね。いやだとお思いになることがあったら、どんなにべそをかいてもいいから、云って頂戴。腹の中で、ひろ子というのはこういうんだな、なんかと思わないでね」
「いつか、そう思ったことがあったかい?」
「これまではなかったわ。段々いそがしくおなりになるでしょう? こんな話をゆっくりしていられなくなるのは見えているのよ。ですから、それまでに、痛棒はたっぷりほしいのよ」
「よし。わかった」
ひろ子は、重吉がかけている深い古い肱かけ椅子の足許に足台をひきよせてその上にかけ、鼠がかじった米袋の穴をつくろっていた。小切れを当てて上から縫っている手許を見おろしていた重吉が、
「つぎは、裏からあてるもんだよ」
と云った。いかにも、それだけは確実だ、という云いかたで、ひろ子は思わず笑い出した。
「どうしてそんなこと知っていらっしゃるの」
「和裁工だったんだぜ。ひろ子といえども、裁縫で五円八十銭稼いだことはなかろう」
重吉は、
「僕がやってやろう、見ていてごらん、うまいんだから」
袋をとって、ひっくりかえして、内側からつぎきれを当てて、縫い出した。つかみ針で、左手の拇指と人さし指のはらでおさえた布の方へ針をぶつけてゆくようなぎごちない手つきで、しかし一針一針と縫ってゆく。はじめ笑って見ていた口元がかすかに震えて来て、ひろ子は深く唇をかんだ。口許を力ませるような表情で、濃い睫毛を伏せ、針を運んでいる重吉のうしろに、ひろ子はまざまざと牢獄の高い小さい窓を見た。そこに鉄格子がはまっていて、雲しか見えず、オホーツク海をわたって吹く風の音しかきこえない高窓を見た。その下に体の大きい重吉がはげた赭土色《あかつちいろ》の獄衣を着て、いがぐり頭で、終日そうやって縫っている。重吉の生きている精神にかけかまいなく、それが規則だからと、朝ごとに彼に向ってぶちこまれるボロ。どんな物音も立たない、機械的な、それだから無限につづいてゆく、惨酷さ。まるで、感傷がなく、ユーモアをもって縫っている重吉が、最後の糸どめをするのをひろ子は待ちかねた。そして、
「見せて」
手にとりあげて、それを見た。針めがそろっている。ひとつびとつは不器用な針目だが、それは律気にそろっている。そろった針目は、ひろ子の目に、重吉が坐らされていた板じきの上の薄べりの目とも映った。
「うまいだろう?」
「うますぎるわ、でもね、わたしはもう一生あなたには針はもって頂きたくないわ」
ひろ子は立って行って硯箱《すずりばこ》をもって来た。
「これはこうしておくの」
その日の日づけをかいて、和裁工石田重吉記念作品と、つぎきれの上に書きつけた。
さきへ二階へあがって、ゆっくり床をのべながらひろ子は、朝からのことを思いかえした。すべてのことが、重吉に云われた後家のがんばりを中心に思いめぐらされるのであったが、並んだ二つの臥《ふし》床を丁寧にこしらえて行くうちに、ひろ子の心に、次第に深まる駭《おどろ》きがあった。ひろ子にとって、ずばりと後家のがんばりを警告してくれるのが、良人である重吉よりほかにない実際だとすれば、本当に後家になった日本の数百万の妻たちには、誰が親身にそのことを云ってくれるのだろう。一生懸命に暮せばこそ身につきもするそういう女のがんばりについてその一途さにねうちがあるからこそ、一方のひずみとして現れるがんばりは、もっとひろやかで聰くより柔和なものに高められなければならないのだと、誰が、良人のいない、暮しのきつい後家たちに向って云ってくれるのだろう。そして、がんばらずに生きられる条件を見出してくれるのだろう。それを思うと、自分をこめて、ひろ子の眼ににじむ涙があった。
床の上に立って着換えをする重吉に、寝間着の紐をわたしながら、ひろ子は、愛称
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