かったみたいに云う人があるわ。それがどんなことをやったから、ああなったのか考える必要もないみたいにいう人もあるわ」
 しばらく黙っていて、重吉は、
「だが、いまの、一番ふさわしい仕事をしていい、ということは、作家なら作家としての日常に、歴史的な責任を求めないということじゃあないんだよ」
 ひろ子の理解を補おうとするようにつけ加えた。
「それは、わかるわ。求められるというわけのことじゃないんですもの、土台――自分が求めて、その門に到った、ということなんだもの……」
「文化関係の人は概してこだわるね」
 ひろ子の場合をこめて、更にひろ子の知らない、いくつかの例を、心のうちで調べるように重吉が云った。
「――やっぱり生活や仕事のやりかたが個人的なせいかしれないね。……夫婦なんかの場合、ギャップはうめられなくなるからね」
 最後のひとことを、ひろ子は瞳を大きくしてきいた。重吉がそれを云ったということではなく、一番しまいに、ひろ子が自分で自分のこころもちをきめたのち、はじめて重吉はそれを云った。そのことが、ひろ子のきもに銘じたのであった。

 十二月はじめに、はじめての大会がもたれることになった。赤旗編輯局という表札と同様に衆目の前でもたれる大会として、それは最初のことであったが、歴史の中では第四回目に当った。
 いろいろの大衆的集会も活気にみちてもたれていて、一九四五年の冬は、日本の民主主義の無邪気な発足の姿であった。
 木枯《こがらし》の吹く午後おそく、ひろ子は、前後左右ぎっしり職場の若い婦人たちで埋った講堂で、ニュース映画を観ていた。それは「君たちは話すことが出来る」と云う題であった。十月十日に、同志たちが解放される前後を中心として、治安維持法と、その非道な所業、その法律の撤廃を描いた映画であった。山本宣治を殺して出来た治安維持法が、小林多喜二を虐殺し、渡辺政之輔その他たくさんの人々を犠牲とした。小林多喜二が命を失ったときの顔が大うつしにされたとき、ひろ子は総毛だって涙をためた。ひろ子は、この顔を自分の眼で見た。小林のおかあさんは、この息子の顔の上に身をなげふせて、優しく優しくこめかみの傷を撫でながら、どんなに泣いたろう。あんちゃん、どげにきつかったろうなあ、そう云って撫でては泣いた。
 その治安維持法によって獄につながれている人々の、生活ぶりが、薄暗いのぞき穴をとおし
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