ーブルに、重吉よりはおくれて宮城から出獄した仲間の一人がいた。公判廷でみたときよりももっとやせて、一層角のついた正八角形という顔の感じである。ひろ子は、その手を執って挨拶した。さっきの男二人は、入れちがいに出てゆき、重吉が、
「弁当もって来たかい」
ときいた。
「御一緒にたべたら?」
「僕はあるんです」
 そのひとは、握り飯を出した。重吉とひろ子は弁当箱をあけ、鰯《いわし》のやいたのを三人でわけて板テーブルの上で食事をはじめた。まだ湯をわかす設備もなかった。
 そして、食べているところへ、一人新聞記者が入って来た。その記者は重吉とうち合わせてあった用向きについて事務的に話してから、煙草に火をつけ、世間話をはじめた。
「この間うちから僕は徳田さんにも会ったし、志賀さんにも会えたんですが、袴田里見さんていうのは、一体どんな人です? どうにも会えないで残念なんだが」
 ひろ子は、ひどく面白がった眼つきで重吉を見た。重吉はおかしそうに笑っていたが、一寸となりを見てから、
「すぐ近くにいますよ」
と云った。
「え? じゃきょう会えますね」
「ここにいるのが、同志袴田です」
 記者の真向いで鰯をかじっていたひとが、
「やあ」
と、笑い出した。
「どうも――これは……」
 記者は、今更床几から立上るのも不自然で間誤付きながら、片脚をそろりと床几の下へかくすようにした。
「ほかの政党だと、幹部連のえばりかたがちがうから、どこにいたって入ってさえ行けば一目でわかるんですが、どうも共産党の人は……失礼しました」
 名刺を出して、頭を下げた。
 格別用談もなくてその記者が去り、やがて黒外套の見知らない人も出て行った。二人きりになったとき、重吉が、出ていたノートを書類鞄にしまいながら、
「ひろ子、来たついでに経歴書、出してゆくか」
と云った。
「経歴書って――」
 突然な気がして、ひろ子は躊躇した。経歴書を出すということは、正式に組織上の手続きをするという意味であろう。
「それは、わたしとしては当然なことだけれど……」
 ひろ子には、今、直ぐ、ここで、という用意がなかった。二つの仕事が両側から一時に迫って感じられた。文学の仕事と、ひろ子が女であるということから自然おこって来る婦人関係の仕事と。その頃、ひろ子には、あとの方の用事が多かった。書くものも、所謂啓蒙風のものばかりの結果になっていた
前へ 次へ
全46ページ中42ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング