弁当をつめた。その日は、ひろ子も同じ方角に出かけなければならないのであった。一緒に出かけようとばかりせき立って、ひろ子が食卓のまわりでのぼせていると、重吉が、
「ひろ子、ここが駄目だよ」
ぶらぶらしてはまらないカフス・ボタンの袖口をつき出した。洋服を着はじめてから日のたたない重吉には、あちこちで止めたり、しめたりするボタンやネクタイが苦手で、支度にはいつも閉口した。シャツのカフスがどう間違えて縫ったものか特別せまくて普通にボタンをとめてからでは手をとおしにくかった。
ひろ子は、友人の贈物である綺麗な細工のボタンを、粗末なシャツのカフスにとめた。うしろの衿ボタンも妙になってカラーがさか立っている。重吉は自分のまわりを動くひろ子の頭越しに時計を見ながら、いかにも当惑したように、
「時間がないな」
と云った。
「九時半までに必ず行かなけりゃならなかったんだ」
「まあ! あすこまで二時間かかるでしょう。困ったわ。それなら、はっきり云っておいて下さればよかったのに。――いつも通りかと思った」
なおあわててひろ子は、半分ふざけ、半分は本気で重吉の大きい体をつかまえ、少し荒っぽく、
「――こっちを向いて」
カラーをつけ、
「こんどはこっち」
これを前でとめネクタイをしめさせた。
「自分でカフス・ボタンもつけられないなんて、わるい御亭主の見本なのよ」
重吉は迷惑げに、あちこちまわされて、支度が終ると、すぐ出て行った。上りぐちで、
「おいてきぼりになっちゃった!」
そう云いながらひろ子が、重吉の帰る時間をきいた。
「何時ごろ? いつも頃?」
これも貰いもののハンティングのつばを、一寸ひき下げるようにして、重吉は無言のまま大股に竹垣の角をまわって見えなくなって行った。ひろ子は、暫くそこに佇んだまま、むかごの葉がゆれている竹垣の角を眺めていた。重吉は、口をきかずに出て行った。意識した手荒さでまわした重吉の体の厚みが、手のひらに不自然に印象されて、それはひろ子のこころもちをかげらせた。
自分の用事がすんで、ひろ子が帰ったのは五時すぎであった。御飯をたくことと、おつゆのだし[#「だし」に傍点]をとっておくことだけをいつも頼む合い世帯のおとよ[#「おとよ」に傍点]に、
「ただいま。――石田、かえりました?」
ききながら、ひろ子は上り口を入った。
「まだですよ」
「そう。――
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