れしい方へ条件が変って僅か半月ばかりのこの頃。それにくらべて条件が変るとすれば、より悪くしか変りようのなかったこれまでの十数年間。
「なんて云っていいか分らないようだわ。一層、一層、あなたの細君であろうとして、そのために、そんながんばりが身につくなんて、……」
「ああいう時代だったんだから無理もないさ。どっちを見ても崩れていて生活の基準がなくなった中で、謂《いわ》ばそれを自分から押しやることで、どうやら自分を真直にもって来たというところもあるんだから」
 話しながら二人がのぼりかかっていた大きい勾配の坂の中途で重吉が立ちどまった。そしてひろ子に訊いた。
「この坂は、どの坂だろう」
「――どの坂って?」
「もとの家へゆくのに、いつも通った坂があったろう? あれはどの坂かい?」
「ああ、あれは、この坂よ」
「これっぽっちの狭い坂だった、あれかい? ごちゃごちゃ店なんか並んだ……」
「そうなのよ。すっかり変っちゃったでしょう。あの頃はまだずっと急だったしね」
「そうか!」
 さも合点がいったように、
「それでやっとわかった」
 重吉は又歩き出した。
「帰って来た日、むこうの角から入ってこの坂まで来たんだよ、多分この見当だと思うのに、坂の様子がまるっきりちがうもんだからそれで又すっかり迷っちゃったんだ」
 ひろ子たちが今住んでいる弟の家は、その坂をのぼって少し行った焼けのこりの一郭にあった。十月十四日の朝、網走から上野へついた重吉は、十三年前ひろ子とはじめて持った家を目当にさがして来て、三時間もその辺をぐるぐる迷ったのであった。
 おそい夕飯をすましてから、重吉は、ひろ子が重吉の家からもらって来ていたはったい粉[#「はったい粉」に傍点]をたべている。もとは客間に使われていた洋風板じきの室に食卓を入れて、食事にもお客用にも使って二人は暮しているのであった。
 格別、彼のために新調されたのでもない座布団の上にあぐらをくんで、うまがって、はったい粉[#「はったい粉」に傍点]をたべている重吉を、ひろ子は、飽かず眺める、という字のままのこころもちで見まもった。
 今夜に限らず重吉と一緒に食卓に向っているとき、ひろ子の心にはいつも真新しい感動があった。こんなに自然な男である重吉。簡単な、いもの煮たのさえ美味《おい》しがって、友達と一緒に妻と一緒にたべることを愉快がる重吉。自然なままの人
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