の?」
「東京よりはよかったさ。――巣鴨のおしまい頃はひどかったなあ……これっぽっちの飯なんだから。二くち三くちで、もう終りさ」
 重吉は網走で、独居囚の労役として、和裁工であった。囚人たちが使ってぼろになったチョッキ、足袋《たび》、作業用|手套《てぶくろ》を糸と針とで修繕する仕事であった。朝の食事が終ると、夕飯が配られる迄、その間に僅かの休みが与えられるだけで、やかましい課程がきめられていた。日曜大祭日は、その労役が免除された。そういう日に、重吉たちは、限られた本をよむことが出来た。そのかわりに、その日は食事の量が減らされた。本のよめる日は必ず空腹でなければならなかった。労役免除の日は食餌を減らして、囚人たちが休日をたのしみすぎないようにする。それが、監獄法による善導の方法と考えられているのである。
 焼けたいもをとって、ひろ子もたべた。
「あら、本当に、このおいもは、特別おいしいわ」
「そうだろう?」
 おそい朝飯をすましてすぐ家を出かけ、この研究所に勤めている友達に、重吉の健康診断をしてもらいに来た。重吉とひろ子は、鮭のカンヅメとパンとをもって来た。友人の吉岡がおいもをあてがっておいて、室を出て行った。妻子を疎開させたから、研究所に寝泊りして自炊している吉岡は、自分が実験用の生きものにでもなっているように、隣室のベッドの下に泥だらけのものだの大根だのを押しこんで暮しているのであった。
「吉岡君、なかなかおそいね」
「送別会なんでしょう?――三十分や一時間かかるわ」
 白い上っぱりをはおった助手がドアをノックして入って来た。片隅で煮えている液体の状態を調べてから出て行った。その薬液は、きまった時間をおいて、慎重に観察されながら煮られなければならないものらしかった。
 礼儀正しく助手のひとが入って来て、自分の任務を果して出てゆくとき、ひろ子は、そのつど、ぼんやりしたはにかみを感じた。実験用テーブルの端におとなしくかたまって、たのしそうに、言葉すくなくいもの薄ぎれをやいている自分たち二人。それは、十月の明るい光線にガラスどもが光っている実験室の薬品くさい内部の光景として何でもないその一部分であるような、さりとて助手のひとが毎日見なれているあたりまえの情景であるとも云えなさそうな、はにかみを感じるのであった。
 いもがやけてから、ひろ子は、片隅の水道から水をくんで来て
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