は、当時の新しい事情におかれたイギリス社会の心理、風俗の中でどういう必然をもっていたのだろうか。今日の読者にとって最も注意をひかれるそれ等の箇所については分析の力を有《も》たぬ、而も堂々たる文学評論が漱石によって明治四十二年に書かれたこと、そしてこの大文学者が生涯を通じて非文化的非人格的存在と見た社会層の一端には常に「車馬丁」がおかれ、他の一端には「成金」がおかれていたことも、最も複雑な意味で当時の日本風俗の一断面を語っていると云えるのである。
 今日の日本の諸風俗のありようというものは、つい先頃までは風俗描写の小説をもってリアリズムの文豪と称した一部の作家たちをも瞠若たらしめる紛糾ぶりである。その紛糾も、社会生活の諸要素が、ゆたかな雨とゆたかな日光とにぬくめられて、一時にその芽立ちに勢立つ緑濃き眺めと云うよりは、寧ろ、もっと力学的な或はシーソー風なもので、風俗の上に現れるあの面は、関係として見ると、その面の裏であると云えるように思う。
 日本が全体としておかれている国際的な事情と、積極的に新しい歴史の時代に立とうとしている関係上、同じ躍進の状態と云っても明治時代とは全然ちがっている。
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