場云々をかざしながら、片手はその扉にかけて、あける気があるふりをして見せるとは。ひろ子は、自分の涙さえ、これについては流すまいと決心した。それほど憤りに燃えた。
この時分から重吉の、しん底からの人間らしさが、やっと本当にひろ子の身と心にしみ入った。二人で暮した期間が余り短かかったのと、重吉の活動に直接加わっていなかったのとで、別れて暮すようになってからひろ子は重吉に対して、いくらか具体性のとぼしい、そのくせ子供めいた敬意をもちつづけて来た。けれども、重吉が、買いものなんかして置くがいいよ、と、おだやかに、ひろ子を惑乱させないようにと心をくばりながらつたえたとき、重吉の体は、あんなに大きくなって面会窓から溢れ出すように見えた。ひろ子の目にだけ、そう見えたのだと決して思えなかった。そこには、重吉の思いも横溢していたのであった。だのに、それがむごたらしくはぐらかされたとき、重吉はあれほど自然だった大きい横溢を収拾して、新しい事情に立った。ひろ子の心情をも支えて立った。その体温が自分の皮膚にもつたわる良人としての重吉を、この時ほどひろ子が瑞々《みずみず》しく、そしてひしと感じたことはなかった。妻たる自分のこの手の指、この足が重吉につながっている。互の間にひとしおの理解と献身の泉が掘りぬかれた。第二の新婚が経験された。それは、未熟なひろ子にもたらされた一つの豊かな変革であった。
ひろ子は、十二年の歳月のうちにこういう思いを経て来ている。重吉が帰る。――もしも、もしも何かの事情でそれが実現しなかったら。もう少しというところで、何事かが重吉の身の上、或は重吉のもっている条件の上に起ったら。
ひろ子は、生きていなければならなかった。それがいつになろうとも、重吉と暮せるときが来るまで、頑固に生きて行かなければならなかった。その失望が、自分を生きにくくするかもしれない、と思うほどの待望を、今、ひろ子は却って自分から押しのけようとするのであった。
友人たちの話との間に、宵宮の祭りにあたったその町の夜の往来をカラコロ、カラコロと通ってゆく下駄の音が冴えて聞える。リーンとすんだ自転車のベルが駛《か》けぬけてゆく。久しぶりに聴く都会の夏の夜らしい物音に、ひろ子は懐しく耳を傾けた。本棚にもたれ、団扇《うちわ》を膝においているひろ子の心に、重吉への思い、一家の柱である息子を失った田舎の母たちの生活への思いが、絡み合って浮び、消えた。
六
汽車はいま、どの辺を走っているのだろう。ハンカチーフでうたたねから醒めた顔をふきながら、遠くまでゆく旅行者らしい視線で、ひろ子は窓外を見た。が、そこにある眺めには、地方色もなければ、生活らしい生活の動きもなかった。列車は丁度かなり大きい駅の出はずれを走っていて、左右とも市街の廃墟ばかりであった。平ったく、ただ一面残暑の日光にさらされている廃墟は、云いようもなく単調で、どんなに決定的な破壊の力がここに働いたかということを印象づけるのであった。列車はじきその風景をつきぬけ、こんどは、まるで無傷な自然と云う風な九月の東海道の、濃い緑の中に突入してゆくのである。
一日に一本出る下関行下り急行が東京駅の鉄骨だけがやっとのこっている円屋根の下を出発してから、見て来た沿線の景色は、それを景色だと云えただろうか。京浜はもとより、急行列車が停るほどの市街地は、熱海をのぞいてほとんど一つあまさず廃墟であった。田舎らしい緑の耕地、山野、鉄橋の架った大きい河、それらの間を走って、旅めいた心持になる間もなく、次から次と廃墟がつづいてあらわれた。
はじめのうち、乗客たちは、
「いや、これはひどい。東京ばかりのように思っていたが、どうして、どうして」
のび上って眺めたりしていた。半日近くも同じような廃墟の間を走りつづけて来た今、旅客はこの反覆される光景に馴れ冷淡になってしまった。
くたびれが出て、大変長い間眠ったような気分で目がさめたひろ子は、いくらかきまりわるい表情で、前や横で、人々が弁当をひろげはじめているのを見た。ひろ子は時計をもっていなかった。時刻の見当もつかない上、どこまで来ても窓からみる景物のくりかえしは同じだものだから一向東京から出切っていないような、ちぐはぐな目ざめ心地である。
白絹のシャツに巻ゲートルといういでたちの岩畳な骨格の男が、ひろ子の向い側にいた。力仕事で五十過まで稼いで来たという手つきで、竹籠の中から薬ビンを出し、小さいコップに液体をついだ。そして、それを隣りの軍人にすすめている。
「ひとくち――いかがですか、メチールでないことだけは保証いたします」
上着はぬいで、白シャツだけになっている将官は、
「いや、これはどうも。折角ですがやりませんから……」と、丁寧に辞退した。
「じゃあ――失礼いたします」
うまそうに、その杯をのみほし、更にもう一杯のんで、食事にかかった。細々といろいろの食べものを、いくつかの包みにわけてその竹籠に入れて来ているらしいのだけれども、その反歯で日やけした、眼つきの明るく柔和な男は、決してその包みを竹籠から出して、ひけらかすような食べかたをしない。遠慮がちに、しずかにたのしんでいる。一見して土木請負業と思える万端と、少しかわって特色のある眼つきとそのとりなしとは、ひろ子の興味をひいた。軍人も、弁当をひろげた。それは竹の皮につつんだ三個の握り飯と佃煮と梅干である。若い従卒が、通路の荷物の上にもたれるようにかけていた。その従卒が水筒から茶をついだ茶碗をわたした。白い厚焼の、どこの役所でも使うものであるが、そこに二つの字が入っている、「教・総」と。陸軍で、教・総と云えば、教育総監関係しかないだろう。この軍人は、では、そういう部署の、そういう茶碗を人前でも使う位置にあるものなのだろう。今はぬがれている軍服の上着に肩章も襟章も、もがれてついていなかったことが思い出された。上着には略章のいろいろな色だけがつけられていた。剣も吊っていない。丸腰で入って来た。先着して座席をとっていた若い丸顔の従卒は、挙手の礼はしないで、ただ起立して、その席をゆずった。それらの光景を、ひろ子は東京駅の混雑の裡に思い出すことが出来るのであった。
三個の六分|搗《づき》の握り飯は、誰の目にも質素な弁当である。湯呑茶わんについている「教・総」という二つの字、それから推察されるその軍人の地位、それらは質素な弁当を当然に思わせた。
ひろ子は三日前、東北のある町から東京まで戻った。途中若い海軍士官とのり合わせ、彼が車掌と論判し、互に辱しめ合う苦しい情景を目撃した。苦悩が剣相さとなってあらわれている蒼い顔で、その若い士官は論判の後弁当をひろげ、部下にも食えと云ってさし出した。それは、びっくりするほどぜいたくな、世間ばなれのした料理であった。ぜいたくな食いものは、周囲の乗客の注意をひき、一層その若者に反撥させた。若い士官は明らかにそれを自覚していた。が、それが何でわるい、という肩つきで、まずそうに乱暴にそれを平げて行った。
下関近くの、重吉の故郷へ向ってこの列車にのりこんでいるひろ子は、東北から上野へ向って来たとき同様、旅客の中にほんの僅な女の一人旅であった。
東北の中央の町から上野まで、僅か七八時間の短距離を走る列車は、混みようもひどかったし、気分もひどかった。潰走列車としか云いようがなかった。軍関係者、復員軍人、それらの大群集が、それっとばかり、矢庭に担げるだけのものをかつぎ、奪えるだけのものをかきさらって、我がちに乗りこんで来た。互に、あたり憚らず、どたんばでの利得についてしゃべり合っていた。
三日のちがいだが、東京という首都を通過して東海道を下るこの列車は、潰走列車ではなかった。八月十五日以来の第二段の後始末のために、動いている人々、そういう感じの旅客たちであった。かきさらえるものをさらってその場を見すてようとしている人々ではなくて、この旅の行きつく果に、それぞれ日本の新しい情勢によってひきおこされた課題をもっている人たち。そういう空気であった。
ひろ子の隣りに白い病衣をつけた傷痍軍人がのり合わせた。左脚が、太腿から切断されていた。下賜の義足が入っているという大きな木箱を、日傭人足のような男がかついで乗りこんだ。離ればなれに、病衣の人が三四人のりこんだが、看護婦も看護卒もついて来ていなかった。まだ自分の不自由さに馴れないそのひとは、自分が一つよろける毎に、や、すみません、と口に出した。この人は干パンを弁当として食べている。
この傷痍軍人と「教・総」とは真向いであった。京大の農学部を卒業して、九州の鉱山統制会社に勤めているという壮年の片脚を失った人は、パンをかじりながら、快活に北支で負傷した当時のことや、陸軍病院一ヵ年半の生活、終戦以後の滅茶滅茶ぶりを話した。
「看護兵なんか、何も知っちゃいないんです。だから自分たちは、オイ、ヨーチン、ヨーチンてってからかったもんです」
そう云って笑いながら、ワールド・カーレント・ニュースという英字雑誌の巻いたので丈夫な方の腿をたたいた。
「いや、どうか自信をもって生きて下さい。脚の片方ぐらいなくたって、人間は幸福になれるんだという信念で、明るく生きて下さい。決して卑下するんじゃありません。わたしもこの年までいろいろな経験をして来たが、これだけはお願いしておきます」
そう、白絹のシャツが改って云った。
「奥さんに対してなおってもね、ひがむことは禁物です。あなたがそれに負けはじめたら、万事休しますよ。奥さんにはもちこたえられなくなります。これも経験ですが」
それを云うのは、「教・総」ではなくて、荒削の相貌だが眼のなかには精神の動きが見えている白絹である。
ひろ子は、こまかい紺絣のもんぺ姿で、昔の女学生用編上靴をはいている。ひろ子が、のり巻の握飯をたべ終るころ、白絹と「教・総」とはくつろいで話しあっていた。
「満州では、何の御事業でした? 軍関係ですか」
「そうです。が、なあにほんのちょいとしたことでして――」
しかし共通な知り合いの軍人の噂が出ると、
「ふーむ。あれをお知りですか、そうでしたか」
おのずから、自分が満州でもっていた環境を「教・総」にさとらせてゆく。白絹はそういう会話のこつを心得ていた。
「教・総」は、やがて日本皇太子史論という小冊子をとりあげた。が、実際に読んでいる間はごく短かった。視線はじき頁から離れ、上向き加減にもたげられた二分刈頭、閉じられた瞼。その卵型茶色の小心律気な老年に近い顔には、能面のように凝固した表情があらわれた。唇は、その能面の上におかれた一本の短い色のさめた糸のきれはしのようになった。内心に一つの渦があって、外界の刺戟がゆるむと、忽ち全存在がその渦巻の中心へと吸いよせられる。そういう気配が感じられた。そしてその能面の表情には、微塵《みじん》も明日の閃きが感じられなかった。
名古屋を過ると、通路まで汗と塵にまみれた復員者とその荷物で溢れて来た。
はじめ元気に冗談も云っていた片脚の傷痍軍人は、列車が次第に目的地へ近づくにつれて何となし沈みがちに落付きを失って来た。京都に妻子が疎開していた。二年ぶりで帰る体を先ずそこに休めようという計画なのであった。
「電報がうまくついていればいいんだが――」
ひろ子をかえりみて、
「この節の電報は二日じゃあぶないでしょう」ときいた。
「よっぽど工合がよくないとね」
東北の町から、鮎沢のうちへ打った電報は、ひろ子が到着して、次の日まで逗留している間にさえ配達されなかった。
「弱ったな。荷物さえなけりゃ何とかなるんだが」
網棚の上の大きい義足の木箱を見上げた。
「お降りになるとき位、みんながお手つだいしますよ。駅のひとだって放っておかないんだし。――荷物は一時あずけにして、あとからとりに来ておもらいになれば」
「どうもすみません。じゃ、そうでもするか」
頭へ一寸手をやって、神経質に笑った。
「何しろ、はじめて社会へ出たもんで――これで病院にいた間は、同じよう
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