きやがって」
 それはひろ子も同感した。先のことを決してあるとおりみんなに知らせない。おさきまっくらのまま、目前の一寸きざみで釣ってひっぱってゆく。この街道のトラック連絡がそうであるどころか、到るところの役所、軍隊、監獄、すべてが同じやりかたでやられている。日本人は、この日本流のやりかたで、各自の運命のどたんばまでひきずられて来たのであった。ひろ子は、心に憤りを感じた。
 支店長は、父子づれの荷車挽きをつらまえ、一ケ十円ずつで荷物を載せさせた。土地のものが徒歩連絡者の荷運びに稼いでいるのであった。
 姫路をはなれれば離れるほど、空は本極りの秋晴れとなった。彼等が後にして来た姫路あたりにだけ、特別しまりのない雨袋が天にかかっていたのかと思う快晴になった。一筋の国道はゆるやかな勾配で上り、また下って秋の日に輝やき、歩いてゆく男たちの白シャツをその道の上に目立たせた。土埃は雨に洗い流され、影はくっきりと濃く、かたい道路の上にある。
 ひろ子は、女学生靴をはいた自分の歩幅のぎりぎりで歩いた。
「奥さん、その荷車のうしろへつらまって歩く方がいいですよ。――はなすと、ズッとおくれてしまいますぜ」
 明石が近くなると思うにつれ、従って彼の家が間近くなるにつれ、支店長は熱心にひろ子を督励した。荷物をのせた一かたまりの人々が、その一台の荷車のぐるりを囲んで歩いた。そういう群が、前にもうしろにも、やって来る。あっちからこちらへ来る通行人は益々殖え、そこにも、ひろ子のように荷車を中心とするかたまりが歩いているのである。
「日に、よっぽどの稼ぎだろうなあ、この塩梅だと」
 鉢巻をした荷車ひきは、格別汗もかかず、ゆるい下りで足早になりながら、用心ぶかく、
「さあな」
と云った。
「なんせ、こんだけの人数が歩くんだからね……」
 体力に合わせては速く、大股に日向を歩きすぎて、ひろ子は胸が苦しくなって来た。もうついて歩けないと思ったとき、荷車ひきは、街道ばたへよって行って、そこへ梶をおろした。幾台もの荷車がとまって、人がたかり、荷の上げおろしをしていた。半丁ほど先に、トラックを待っている長いひろがった列があった。
「ここまでなんか」
 意外そうに支店長がきいた。
「あこからトラックが出る」
「そうか、なるほどね、これが『三里』だったか」
 実際に歩いたのは一里あるかなしの距離であった。しかし、ひろ子にとっては、それが半里だろうと、三里だろうと、もうそれより先は歩かないでいい、というのがありがたかった。
「さあ、もうこんどのったら明石までバタバタせんでええのやから楽です」
 ここでトラックを待っている列は、妙な列で、一つもしまりがなかった。七人も八人も一列に押し並んでいるところがあるかと思うと、三四人パラパラと荷物の上にしゃがんで梨をかじったりしている。数台のトラックが真面目に往復しなければ、さばけそうもない人数であった。だが、人々は道端にもう一時間以上、そうやって只待っているのであった。
 時々、むこうから復員兵を満載した大型トラックが疾走して来た。ぎっしりつまって四角く突立ってのっている若い兵士たちは、道ばたにだらしなく動くあてのない列をつくって待っているひろ子らの群とすれちがうとき、ワーと賑やかに声をあげ、通過して行った。そういうトラックはどれもが、おしげなくスピードを出しているのであった。忽ち小さくなってゆく後かげを見送りながら、
「チェッ!」
 羨望と嫉妬で舌うちする男があった。
「――あいつら、みんな朝鮮人なんだぜ」
 朝鮮の若者たちは、戦争の間志願という名目で、軍務を強制された。志願しない若者の親たちは投獄されたりした。そういう話はひろ子もきいていた。今、彼等のトラックが、どうしてフール・スピードで駛《はし》らずにいられよう! この秋晴れの日に。その故郷へ向う日本の道の上を。
 午後の影が、斜めに街道の上に落ちはじめた。トラックはまだ来ない。それなのに、見ているとずっとむこうの方で停って、そこから人をのせ、そのまま折返してしまうトラックなどがある。そういう無秩序全体の中に、何かさっぱりしないものがあった。だらしがないというばかりでなく、阪神地方の大都市周辺らしい、何かさっぱりしないものがある。しかも、根気づよく列をつくっている数百人の旅客たちは、トラックが何故こんなにおくれているのか、一つの理由も知ることが出来ずにいるのであった。
 支店長が、腕時計をみては、大阪から支線へのりかえる時間を気にしはじめた。九時半までに大阪駅へつかなければ、きょう、ここまで辿りついたことが意味をなさなかった。
「待っていても、どうもきりがなさそうですな。あなた、すんませんが、私の荷物をおたのみしますぜ」
 列をはなれて支店長が、荷馬車のたまっている後方へ行った。そのとき、ひろ子は、街道の上に異様な列を発見した。それは、顔も土気色、服も青土色の、小人の一隊であった。まるで、地べたから湧いて出たように、ひろ子らの横にあらわれたその小人の一隊は、どれも十二三から十四五どまりの少年たちである。頭をこす大荷物を細い背中にくくりつけて、太い綱をへこんだ子供の胸元でぶっちがえ、重さにひしがれて、両腕をチンパンジーのように垂らして体の前でゆすぶりながら、本当によち、よち、歩いて来る。どうして、こんな体不相応な大荷物を皆が皆かついでいるのだろう。明らかにこの土気色の小人群は、その荷物を背負って明石から何里かの道をここまで歩いてやって来たのだ。困憊《こんぱい》が、同じようにやつれ、同じように瞳のどろんとした子供の顔に漲っている、見るも薄気味わるいこの小人たちが、その上みんな揃って軍服を着せられている、そのことは、トラックを待っている人群を愕かした。
「なんだい、こりゃ!」
 わざわざ列をはなれてそばへよってゆく男たちもあった。
 すると、白開襟シャツに国防色のズボン、巻ゲートルの三十がらみの大柄の男が、あっち向きにひろ子のついわきに佇んでいたのが、不意に、大声をあげて、板でも叩くように二言三言まるで意味のわからないことを叫んだ。そして、手にもっている竹のステッキをあげて、一人一人と土色の小人の背中の荷をたたいた。荷をたたかれた泥きのこのような小人は、鞭を感じた驢馬の仔のように歩調をはやめ、ほとんど駈け出したそうにした。が、途方もない荷は彼等の足に重しを加えている。小人らはチンパンジーの腕を一層ふりたくり、首だけを前にのばし、その伸した垢だらけの細頸に太くうねうねと静脈のふくれ出ているのがひろ子の目にとまった。
 数百、千余の視線が、このおそろしい小人の一隊の上に注がれた。あとからあとから同じような二列縦隊がつづいた。やっと列が行きすぎたとき、
「――少年兵だ」
 一言そう呟く声がした。
 ひろ子は、体が震え出すような気がした。少年兵。――少年兵。どうぞ一人も途中で死ぬことがないように。
 爽やかな午後の街道を暫く暗くして小人群が通りすぎたとき、支店長は、全くその光景には心付かなかったらしく、交渉に亢奮した顔色で列に戻って来た。
「奥さん、早うおいで。馬車がでけましたよ。これで明石まで行きましょう、さ!」
 リュックをかたげてひろ子も小走りに後方へ行った。もうあらかた荷物や人が積まれている。ひろ子は、車輪の軸に靴をかけ、ようようよじのぼって箱のようなものの上へ腰をおろした。六十前後の母親と若い娘が、並んでかけた。支配人は、荷車の前部へのった。
「のれましたか、折角ここまで来て落ちたらあきまへんで!」
 ともかく乗りもの、動いてゆけるものを捕えて、機嫌のよくなった人達がみんな笑った。
 人と荷物をもりあげて、荷馬車はのろのろ動き出し、ちっとも変化のない列のわきを通った。
「ほう、見い! これやもの、トラックは来ん筈じゃ」
 五六丁行った先に、おそらく二倍も三倍もの料金をはらう人たちだろう、一団のかたまりがあって、今、小型トラックが来て、その人たちを運ぼうとしているところなのであった。
「列に待っとったら、夜になりよるで」
 一日の稼ぎである幾往復かをしてその荷馬車は、帰り車であった。馬は首をたれ、折々尻尾で蠅を追いのんきな運びで進んだ。徒歩でゆく馬子は、それをせかせる気もちもない。ゆっくり六時までには明石につける。人々は、すっかりそれで安堵しているのであった。
 姫路を出てから、一日じゅうトラックをよじのぼり、這い下り、荷車にすがっていそいで歩いたひろ子は子供のように疲れた両脚をぶら下げて、荷馬車にゆられて行った。
 国道の両側に、すき透るような秋の西日に照らされてのびやかな播州平野がひろがっていた。遠く西に六甲あたりかと思われる山並が浮んでいる。空に軽い白雲が綺麗に漂っていて、荷馬車にゆられながらそれを眺めているひろ子の心をしずめた。
 こういう秋の午後、思いもかけない播州平野の国道を、荷馬車にのって、かたりことりと東へ向って道中する。重吉に向って、進んでゆく。ひろ子には、その時代おくれののろささえ快適に感じられた。ひろ子が住みなれている関東平野、東北本線で見なれている那須野あたりの原野とちがって、播州の平野には、独特の抑揚があった。一面耕されているし、耕されている畑土は柔かく軽そうで、それは遠望する阪神の山々の嶺が、高く鋭いのにかかわらず、どこか軽々と夕空に聳えている、その風光と調和している。ところどころにキラリと閃く浅い湖のような水面もある。
 その荷馬車に荷物だけのせて、自分たちは国道を歩いて来る二人の若者があった。背広の上衣をぬいで腕にかけ、なれて来たら、口笛をふきながら歩いている。
 二人とも元気な、歯の美しい若者同士である。ちょいちょい冗談を云い合って笑う。彼等の言葉は朝鮮の言葉であった。ひろ子が、この旅の往き来で見かけた朝鮮人たちは、すべて西へ西へ、海峡へ海峡へ、と動いていた。だがこの若者たちは、東へ向っている。
 若者たちにはうれしいことが行手に待っているらしく、殆どはしゃぐ仔犬のようにふざけたり追っかけっこのようなことをしたりして、あいだには歌をうたい、しかし車からは離れずついて来る。
 微風に梳《す》かれる秋陽は、播州の山々と、畑、小さい町とそこの樹木を金色にとかし、荷馬車は、かたり、ことりと一筋の国道の上を、目的地に向って、動いてゆく。かた、ことと鳴る轍の音は不思議に若者たちの陽気さと調和した。そしてひろ子の心に充ち溢れる様々の思いに節を合わせた。この国道を、こうして運ばれることは、一生のうちに、もう二度とはないことであろう。今すぎてゆく小さな町の生垣。明石の松林の彼方に赤錆て立っている大工場の廃墟。それらをひろ子は消されない感銘をもって眺めた。日本じゅうが、こうして動きつつある。ひろ子は痛切にそのことを感じるのであった。



底本:「宮本百合子全集 第六巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年1月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第十巻」河出書房
   1952(昭和27)年6月発行
初出:第1〜11節「新日本文学」
   1946(昭和21)年3月創刊号(第1節)
            4月第二号(第2〜5節)
            10月第五号(第6〜11節)
   第16・17節「潮流」(「国道」と題して発表)
   1947(昭和22)年1月号
   第1〜17節「播州平野」河出書房
   1947(昭和22)年4月
※「B29」の「29」は縦中横。
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2002年6月25日作成
2003年7月5日修正
青空文庫作成ファイル:
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