口の口許をほころばした。
「新聞見てでありましょう? ほん、よろしうありましたのう。おめでとうございます」
「よかったわねえ。みんなのために、本当によかったわ、ありがとう」
つや子はもうはだしではなく、下駄をはいて、やつれながらもいくらか安堵した様子であった。
「おばあちゃん、切符何とかせにゃいけますまい」
「それ、それ。一寸駅へいって来よう」
母は、駅長にあって、重吉が解放される事情を話し、特別許可で八日にはじめて開通する呉線まわりの列車の切符を一枚とってくれた。万一の場合を考えて、ひろ子はその切符を、青森までのに頼んだ。七日が呉進駐で、列車の運転は禁止されているのであった。
「仕様がない。まあ、あした一日お待ちませ」
登代は、満足そうに微笑んだ。
「駅長はんも、永年御苦労様なことじゃあったとお祝い云うてでありましたよ」
重吉という名が、母にとってよろこびをもたらすものでなくなってから、幾何かの歳月がすぎたろう。世間の沢山の人同様、母は恐ろしい虚偽の報道に辱しめ苦しめられ、正義のない正義の法律によっておびやかされつづけて来たのであった。
「ほん、お父はんをきょうまで生かしておきたかったのう」
夕飯のあと、母はしみじみ述懐した。
「田原の叔父さあも、どんなによろこうでかしれんのに。直次は、兄さんが戻ったらほん大切にして暮さすのに、といつも云うちょった、のう、つや子はん」
「ほん、よう、そう云うとでありましたのう」
「ひろ子はん、あんた、こんど重吉が戻ったら、もうどこにも行かさんことでありますよ」
云いつけるように真心こめて云った。
「ここにおいませ。何年でもここに二人でおいませ。あなたは二階で小説かいて、重吉は市役所へなりつとめりゃ退屈せんわいの。水こそつきよるが、この田舎もようありますよ」
十余年も牢やでがんばった重吉を、今度こそ市役所へつとめさせるという考えは、云い出した母親自身さえ、笑い出すおかしみに溢れていた。そして、情愛にあふれている。
つや子が、こういう笑声の中にも一座し、明日の弁当、途中の用意と、縫子と二人で世話をやいてくれることを、ひろ子はいじらしく思った。力相応の平穏な暮しの中でなら、こわくも、おそろしくもならない若い弱いつや子が、しばしば、体力的にも生活の重荷を感じて、何か近よりにくいひとになる。しかも、それをさけることは出来ない境遇の現実である。ひろ子はそこに、つや子の哀れを感じた。
母と二人きりになったとき、ひろ子は母の膝に手をかけて、
「お母さん」
と云った。
「お母さんのお心を思うと、わたしは、何とも云えないの。何てひどい物々交換でしょう。ね、お母さんは、大切な一人の息子とひきかえに、やっと一人の息子をとりかえしなさったのよ。何てことでしょう」
「ほんにのう」
母は、深い息をついた。そして、遠い山の頂の松を眺めながら、
「――進三がまだのこっちょる」
やさしい愛着にみちた母親の声でつぶやいた。
「あれのおるところに、食べるものはあってのじゃろうか……」
十六
目じるしにビロードの小切れを結びつけられたリュックが、再び頭の上の網棚にのっている。そのリュックの中には、お握りの弁当があり、丈夫な二つの紙袋があり、中ぐらいの大さの丸罐も一つ入っていた。紙袋の一つは万一の用心のための米であった。もう一つの紙袋には、挽きたてのハッタイ粉が入っていた。重吉からの手紙の中で、故郷のハッタイ粉をなつかしんで話していたのが思い出された。第一に、それを食べさせたい。じかにそれをつや子に云いかねて、ひろ子は縫子にそっとささやいた。縫子は、自分の思いつきとして、麦を焙《ほう》じ、もち米を加え、みんなで挽いたのであった。丸罐には、白砂糖が入っていた。直次の友達が、重吉の帰りをきいて、祝いにくれた。そして、一足の靴も入っていた。進三が中支にいたとき買って送ったのを、重吉のために、母がくれた。それらが、網棚のリュックのなかみである。
ひろ子は、来たときのままの装《なり》で、紺絣のモンペをつけ、さきの丸まっちい女学生靴をはき、東に向って進む座席にかけていた。
こういう事情になってみれば、ひろ子が網走へ行けなかったということも、あながち不便ばかりではなかった。そして、東京の弟の家が焼けのこっていることも、重吉とひろ子にとっての大きな仕合わせと云えた。その家は、北側の垣根一重むこうまで焼けて、浅い庭木越しには何里とその先に続く焼野原であった。水道が出ないにしろ、まるっきりガスが出ないにしろ、そこには、住むところがある。二人[#「二人」に傍点]で、住むところがある。何と馴れない、痛いように新鮮な感じだろう――二人で暮す、という言葉は。ひろ子が重吉の妻になって、一つ家に住んだのは、二ヵ月足らずであった。その二ヵ月足らずの、いそがしい、出入りの多い朝夕を送った小さな細長い二階家は、今残っている弟の家から西北数丁のところにあった。そこは焼けてしまった。
一人暮しの永い年月の間に、ひろ子は、巣をかけてはそれをこわされ、又巣をかけては、それを持ち切れないような目に会わされて、幾度か引越しをした。それらの屋根の小さい家々も一九四五年の春から夏までの間にみんな焼けてしまった。重吉は、おそらく小さなふろしき包み一つを下げて帰って来るだろう。世間ばなれのした和服を着て、下駄さえも重吉はもっていないのだからおそらく公判につかった草履をはいて。ひろ子にあるものは、困難な時々に売って大分内容の変ってしまった本棚と机とふとんと、それから、もし家をもつときは、と思って、網走行の荷物にそえて集めておいたいくらかの世帯道具と。ろくな家財さえない。
しかし、ひろ子には、自分たちに何にもない、ということが、いわば、最もあることの逆現象のような気がした。それでこそ、自分たちとしては自然であると思えた。これらの十余年の二人の生活を思えば、そこに何があり得たろう。今、解放がある。それでつきている。
ひろ子は、何も考えず、しかも無限に去来する思いの上にただよいながら、のっていた。車輪がレールの接続をこすたびに、カッ、カッと規則正しく、なめらかな響で鳴っている。それは進んでいる証拠である。確実にひろ子の渇望に向ってはしっているしるしである。
ところが、午後四時頃になって車内に不安な噂がつたわって来た。呉まで来る間にも、まだ出水の被害がのこっていて、大分おくれたその列車はおそらく須波より先へは行くまい、というのである。須波とその次の三原駅の間に大鉄橋があり、それがおちているのだがまだ恢復の見込がついていないというのであった。
「弱ったなあ。――その何とかいうところから次の駅まで、何里ぐらいあるんでしょうな」
「半里ぐらいなもんでしょう」
「何時頃つくでしょう、この分じゃ大分おくれますなあ」
「本来は六時すぎの筈だが、わるくすると九時になりますね」
雨が降りはじめた。ひろ子は、その噂をきいたとき、単純に考えた。どうせ、みんな徒歩連絡をするのだろう。重吉の家の窓から眺めた人々の歩きぶりを思い浮べた。その列について自分も歩いて、三原という駅で夜明しでもしよう。
弱った、とくりかえして、雨が降り次第に暗くなる窓外をしきりに見ている前の席の男が、
「奥さん、あなた、どうされます?」
ひろ子に向ってきいた。
「さア、私は、その三原という駅まで歩いて、ベンチへでもねようと思って居ますけれど……」
「そんなことが出来るもんですか!」
とんでもないこととして、否定した。
「どんだけの人間がたまっているかしれんのに、第一、ベンチなんかあるものですか。あなた、どうされます?」
ひろ子と並んでかけている男に言葉をかけた。
「さあ――どうにかなりましょう。私は、仕事の関係で、この辺はよく往復していますから」
なるたけ、煩雑になりそうなことにかかわるまいとする調子で答えた。あから顔の、快活なところと弱気なところとが不思議にまじりあっている小柄な男は、須波が近づくにつれ、困却を示した。
「須波やったら、私の知っている家もあるし、多分そこで、宿やの世話をしてくれまっしゃろ。奥さん、わるいことは云わんから、一緒にその家へよって見ませんか」
熱心なすすめかたには、本当に、三原の駅でとまることなんか思いもよらないという状況がうかがわれた。一人旅をしているひろ子への親切とか、好奇心とかよりも、何かもっとその身に切迫した熱心さをあらわしている。
「その家も駅からすぐのところやさかい、もしお気に入らなんだら、駅へじき行かれます。若い男がいるさかえ、送らします」
徐行、徐行して、須波の駅へ列車が入り、どやどやと不満な旅客の大群がそれぞれの大荷物を背負ったり、さげたりして真暗な雨の車外に溢れ出したとき、ひろ子は、自分に道づれの出来ていたことをうれしく思った。
須波の駅は真暗闇で、たった一つ駅夫のもって歩くカンテラが、妙な高いところで小さい光の輪をつくっている。駅員が道の案内をするでもなければ、道しるべになる提灯がつけてあるでもない。雨の暗い駅にたった一つのそのにぶい光は乗客が影を重ねてこぼれ出た露天ホームまでは届かず、たちまち混乱がおこった。
「どっち行くんや!」
「見えへんじゃないか」
「こっちだ、こっちだ!」
「千代ちゃーん! 千代ちゃーん!」
あわてた女の叫び声が雨の暗闇をつんざいた。
ひろ子は、暗くて足もとが全く見えない中を滑りながら、人々が我がちに登ってゆく右手の崖の横木へ足をかけた。つれの男が、
「大丈夫ですか? わかりますか?」
ひろ子によりすがった。
「眼の見えんものは、こいうことになると実に困ります。――ここでいいんでしょうか」
法外に足かけの幅の遠い滑るだんだんをやっと崖上へ出た。そこは、人家の裏の細道らしく、小流れの音が片側にきこえた。雨にうたれながら荷物を背負った人々は、真暗闇の中に、びしゃびしゃ泥濘《ぬかるみ》の音を響かせ、
「こっちか?」
「まっすぐだ!」
「てんで見えやしねえ」
不機嫌に時々よびかわし、雨傘をさしたひろ子とつれとを追い越した。徒歩連絡らしい列は、どこにも出来ていなかった。足のはやい、力のつよい男たちが、自分たちだけでぐんぐん先へ行った。ひろ子のつれとなった男は、緑内障《あおそこひ》で、ほとんど両眼の視力が失われているのであった。
それをきいてひろ子にはその快活そうでひどく気弱な男のとりなしの万端が諒解された。ひろ子は脚がよわい。その男には視力がない。その二人が、それぞれの目的で、須波と三原の間の、雨の夜道を歩こうとしているのであった。壮年にかかわらず視力の弱い男が、一種の勘で、丈夫でないひろ子を道づれとして見つけたことを、面白くも思えた。
月夜ならばそれが桜の樹だとわかりそうな並木のある堤のような道も、アスファルトで舗装されている広い大通りも通って行く道はみんな暗かった。ひどい降りになった雨と、びしゃびしゃ通る素性の知れない夜の歩行者とに向って、人家の雨戸は用心ぶかくとざされていた。すきま洩れる明りばかりが、時々繁い雨脚とぬれて光る道とを照した。
ひろ子は、一度ならずトラックがこしらえた深い穴ぼこの水たまりにはまった。
「ひどい水たまりですよ」
「や、すみません」
道路の半分ばかりが、くずれているようなところもあった。
「そっち側は駄目ですよ、まるっきり崩れているから」
「――目のよう見えんというのは、ほんに難儀なものです、いちいち、ひとに云うてもおれんし……おかげさんで大助りします」
そんな工合に雨の中をひろ子とその道づれとは歩いて、一つの長い橋をわたった。何年か前、呉線まわりで東京へ帰ったことがあった。そのとき、呉のさきに、長い鉄橋があり、そこを通る汽車の窓から、同じ長さでむこうにかけられている橋の直線的な眺めが、大変美しかったおぼえがある。その長い美しい橋は河口にかけられていた。海は遠くなかった。吹き降りの雨を傘にうけかねて、上体を前かがみに、リュックを背負った二人がわた
前へ
次へ
全22ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング