入れられていた。上げられる箱やトランクを部屋のぐるりに置きながらひろ子は食糧が気になった。こうして着物ばかり保護しているが、食糧はどうなのだろう。東京で空襲があった間、市民が真先に心配し、守ったのは食糧であった。ひろ子が知っている範囲では石田の家の米味噌のおき場は前座の床であった。水が床をこせば、それらはもう安全でない。気づきが唇まで出かかった。が、ひろ子はそれをのみこんで、つや子が容赦なく指図して上げさせる衣類箱を、次から次へうけとっては積んだ。田舎では、食糧の心配がないのかもしれない。何とかなるものなのだろう。つや子が、嫁入りのときこしらえて来た衣類、直次の着ていたもの、子供らのための用意、それを濡すまいとする心理は皆にとっても自然なのだろう。
 箱をあげはじめて十分も経ったとき、益々水嵩がまして来て、階下は大騒動になった。
「それ! おごうはん、お上りませ、こけよりますで!」
 水の中へ倒れたガラスのこわれる音がした。タバコの空棚が浮き出して、ひっくりかえった。
「どうなろうかいの!」
 怒って絶望した母の声がした。こちらで箪笥が浮き出した。
 階段の上《あが》り端《はな》にさし出した裸ローソクの揺れる光が、つい目の下まで来ている水面を照らし出した。
「ハアここまでついちょる!」
 濡れた裸体を照らされながら、沢田の主人が、血相のかわった眼元でひろ子を見上げた。その股のつけ根までが水の中にあった。
 水に追いあげられる鼠のように、次々と二人の男たちも二階へあがって来た。
「こりゃ早う避難せまあじゃ、家がこけよる」
「そんなこともなかろうけれど……」
 上《かみ》から何か大きいものが流れて来たら、この家はもつまい。土台がいかにもわるい作りであるから。
 二人の子のねている布団の裾を濡れた土足のままふんで、七人の男女がまちまちの背たけでそこにつったった。ひろ子は、西窓の雨戸をあけ、往来を見ようとして、はじめて真からの恐怖にうたれた。往来はもう無かった。雲が切れてうすら明るいような深夜の空の下に黒く濡れた沢田の家のトタン屋根のひろい斜面があり、その軒下からわずか一尺ばかりのところを、道幅いっぱいに濁流が流れていた。黒く鈍く光りながら、もりあがる勢で流れている水は音を立てない。しかも絶対に人の命を奪う深さを示しつつ下へ下へと疾く流れている。その水面にまばらな雨脚が光った。危険はそこにあった。母と小さい二人の孫とは、安全に置かれなければならない。
 ひろ子はそれを、自分の責任として感じた。
「この辺で小舟なんかつかわないんでしょうね」
「そんなもの、あらせん」
 怒ったように沢田が答えた。
「ともかく、お母さんと小さい人は家を出ましょう」
 日頃剛毅な母が、しんから辛そうに、
「どうなろうかいの。こんだけ水がおごっちょるのに、どうで渡れよう」
 啜《すす》りあげるように叫んだ。
「もうええ、もうええ。家がこけたらここで死ぬるばかりいの」
 揺れ動く蝋燭の不安定な光に照らし出された二階の雑然とした一室に恐慌が充満した。
 ひろ子は東窓から、新道の方角を見た。目のとどく限り、こちら側の水嵩は低く、新道の上はうっすり白く見えた。
「裏へ出ましょう」
 とっさに、きめた。
「梯子はどこにあるの? つや子さん」
「おばあちゃん、梯子どこかいの」
 縫子が、
「この階段はずしてかけたらええ」
と云った。箱階段でとりはずしがきいた。
「それがいい。誠さんすみませんが、梯子、裏へかかるでしょう?」
 すぐ、父子が、はしごを窓越しにかき出して、屋根へ出た。
「つやちゃん、リュックに子供たちのものとお母さんと二人の着がえ入れて」
 母の書類の入った小カバンをひろ子のリュックにつめて、それは、縫子が背負った。つや子が昭夫を、しげの[#「しげの」に傍点]が治郎をおんぶした。
「大丈夫だから、ゆっくり落付いて。――すべらないように」
 沢田の細君が先頭に立ち、次に母、つや子、しげの[#「しげの」に傍点]と、窓をこして屋根へ出た。石田の家が幾棟にもわかれて建てられていて、しかも、台所の屋根がずっと東へつき出ていたのは仕合わせであった。その屋根の端から、裏の家の薯畑へ梯子がかかった。
「お姉さん、おでませ」
 ひろ子が、屋根へ出たあと、縫子が、ローソクを消し、皆の出たあとの窓の雨戸もひいて来た。
 這う形で瓦をわたって屋根の端へ出たとき、梯子の中段まで誠がのぼって来て、畑の中にいる父親とリレーで一人一人を扶けわたした。
「一寸深うありますが、おそれずに」
 ひろ子は、裸のまま濡れて微かに筋肉が震えている若い誠の腕につかまって、泥濘に脚をおろした。畑の柔かい土が、膝までもぐった。
「お母さんは?」
「あこにおられます、上の道は水がついちょりません」
 新道の上は、あたりまえな雨の水たまりがあるばかりだった。砂利を足の裏に痛くふみながら崖に沿って寺の境内へ登って行った。
 本堂に燈明がついて、もうそこに黒い人影が群れていた。朝鮮人の家族が多かった。石田の家の先に小川が二股になった三角地帯があり、そこに朝鮮人の農家があった。登代が様子をたずねた。
「はア家もなんもありゃせん」
 それは誇張ときこえないのであった。
 みんな、濡れたものをぬいで板じきの隅に一かためにおき、誠は、縫子が手当りばったり入れて来た女ものの浴衣を体にかけて、寺でかしてくれた毛布にくるまった。

        十一

 夜なかにあんな騒ぎがあったそれを信じかねるような快晴の朝になった。
 山門から下って新道の上へ出、それを横切って短いダラダラ坂を石田の家もある一かたまりの部落の往来へ入りかかって、ひろ子は惨澹たる有様におどろいた。とっつきの家では、壁をおとされている。一夜に竹こまいばかりの家になり前の往来に水漬り泥まびれになった家財道具、衣類が乱雑にとり出されている。泥田の中からひっぱり出したような子供の派手な友禅模様のチャンチャンが放り出してあるわきに、溺死した二羽の白色レグホンが、硬直した黄色い脚をつき出してころがされている。
 三角地にあった朝鮮人の農家はほとんど家の土台まで土地が崩壊した。そこを流れる川の水量はもう減っているが、杙《くい》のようなもの、コモ、あらゆる雑物でせかれている。四五人の年とった男たちが、それのとりのけ作業をやっていた。
 雨の深夜の空明りで二階から見おろした黒い水は、あんなに滔々《とうとう》と沢田の軒下を走っていた。かりものの駒下駄でひろ子が歩いてゆく今朝の街道は、あの水の下から地べたがあらわれて、部落じゅうのありとあらゆる臓物が、それぞれ家の表、裏、屋根の上まで拡げられていた。太陽に照らされて部落じゅうに不潔な水蒸気が立ちこめ、穢物のとけこんだべた土の臭気が昇っている。ゆうべのあの水嵩と、けさのこの往来と、ひろ子は、不自然に低いところを歩いているような奇妙な錯覚におそわれながら、一歩ごとに見なれない障碍物がころげ出て、見なれながらふだんと全く景色のちがう往還を通って来た。
 石田の店の先に、大きな角材がひっかかって道をふさいでいた。そこへ空のドラム罐、どこからか流されて来た古床几、箱、砕けた茶ダンス、木の枝をはじめ、あらゆるごもくたが積って、自転車さえかついでやっとそこをふみ越してゆくような山が出来ていた。そこでも、巣箱ぐるみ鶏が数羽流されて来て、死んでいた。やはり体が白くて、鶏冠《とさか》の赤いレグホンの雌たちであった。
 部落の非常時用として木炭数十俵、薪が何百束か、配給所である石田の物置に保管されていた。薪は、夜じゅうまるでおがら[#「おがら」に傍点]にでもなっていたようにふわふわぞろぞろ物置の入口へ浮き出たまま水にひかれ、今は足の踏場もなければ、女手で直せる代ものでもなくなっている。
「こりゃ百束は流れよりましたで」
 登代が目分量で調べて云った。
「まだそこいらにひっかかっていやしませんかしら」
「なんで! いまごろまで……」
 そう云われて、ひろ子は生計のために配られている神経の迅さに思い当った。寺の本堂の掃除をして最後にひき上げたのは、母とひろ子だけであった。夜が白みかかるのを待ちかねて、まだすこしずつ降っている雨の中を沢田の一家三人も、子供を囲んでかたまって或るものは睡り、或るものはうつらうつらしている石田のみんなの横から、そっと起き出して出て行った。
 亡くなった石田の父親の写真が、額ぶちに入れて長押《なげし》に飾られていた。そのすこし下まで水があがった。
 しげの[#「しげの」に傍点]の同僚が手伝いに来てくれて、床下から、土間から一通りかきのけられたべた土が、忽ち背戸に盛上げられた。床板もはずして川で洗われなければならない。水を吸って化物のように重くなったすべての畳がもち出され、干されなければならなかった。米も濡れた。漬物も水の下になった。塩と味噌とは流れてしまった。永年棚の奥に煤けていた古い書類が、行李ごとしずくをたらしてもち出された。
 ひろ子は二階の窓から屋根へ出て、濡れた衣類、布類を干す役にまわった。今までどこにあったのか、いつ、何の役に立つのか、ひっそり歳月の流の底にしずんでいた一切の古布どもが、一片たりとも、びしゃびしゃに濡れて、臭くなってその存在を主張した。
 今朝は秋晴れというにふさわしい澄んだ青空の下の、部落の屋根屋根に女や男が出ていた。濡布団、衣類、何かの穀物をむしろの上にひろげたもの。往来にも部落じゅうのものが出て動いていた。みんな不機嫌で、黙って、忙しく、重いものをかついで川との間を往来しているのであった。
 午ごろ、あちこちから噂がつたわって来た。川下では家が何軒も流失した。人死もあった。トンネルが潰れて山陽線が不通となり、宮島近くの海軍療養所は崖ごと崩れて海へはまった。
「泣くにも涙も出んようじゃある!」
 母は働きながら、顔にかかるおくれ毛をかき上げてはつぶやいた。
 部落に立って、地勢を観ればこの出水の直接な原因が、軍用新道であることは明瞭だった。周防の深い山襞が、南に向って次第にゆるやかにわかれ、低まり、やがて砂の白い彎曲《わんきょく》した海岸となる。その手前、大きい水無瀬川の河床に沿うて東と西とに山並をひかえ、上《かみ》と下《しも》とのこの部落がある。部落の家々の屋根ほどの高さで、東の山並沿いに四五里ほどの間を軍用新道は堤防のように築かれた。従来は、山の奥から部落までの間に段々畑、田圃、沼、数限りない溝流れがあり、それは天然の水はけとなっていた。新道は、そういう細々として工合のよい自然の作用を一息に圧し潰し、朝鮮人夫のトロッコで、赤土を堤ともり上げ、砂利をぶちまいた。無計画な伐採、根っこほり、もう何年もなげやりのままの地方治水工事は、僅か数日の豪雨が山から水を押し出すのだが、高い丈夫な軍用新道が出来たおかげで、部落は何のてだてもなく、溝の底へ縦におかれたかたちになってしまった。これまでは、水無瀬川が氾濫して周囲の麦畑を水につけることはあっても、少し高みにある人家にさわりはなかった。今度は、西よりの川床が溢れるか溢れない時に、新道にせかれ、一時にどっとそこを越す奥山からの出水が、東からも全部落を洗い、水漬りにしたのであった。
 その新道の上に、石田の家では家じゅうの畳をもち出して干した。古びて貧しげな仏壇も崩れかけたまま持ち出された。杙をうちこみ、綱をはり、そこへ濡れしょぼれたものをかけた。
 部落じゅうが湯気を立てていたべた土の臭いを立てた。その日炊出しがされ、溺死した鶏が煮られた。

 登代は、昔からの顔なじみの広さと信用とで、翌日から大工をたのみ、男を数人よび集めた。登代らしい着実さで、先ず必要な便所から修繕がはじめられた。毎日、新道の上に畳が運び出され、綱に物が干され、その間に床下が清潔に洗われ、床板が洗われ、墜ちた壁土がかきのけられて、左官がよばれた。しげの[#「しげの」に傍点]や縫子が、左官屋の女房と一緒に手伝いに働いた。
 ひろ子からみれば、これらすべての手配はおどろくべき迅
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