。妻たる自分のこの手の指、この足が重吉につながっている。互の間にひとしおの理解と献身の泉が掘りぬかれた。第二の新婚が経験された。それは、未熟なひろ子にもたらされた一つの豊かな変革であった。
 ひろ子は、十二年の歳月のうちにこういう思いを経て来ている。重吉が帰る。――もしも、もしも何かの事情でそれが実現しなかったら。もう少しというところで、何事かが重吉の身の上、或は重吉のもっている条件の上に起ったら。
 ひろ子は、生きていなければならなかった。それがいつになろうとも、重吉と暮せるときが来るまで、頑固に生きて行かなければならなかった。その失望が、自分を生きにくくするかもしれない、と思うほどの待望を、今、ひろ子は却って自分から押しのけようとするのであった。
 友人たちの話との間に、宵宮の祭りにあたったその町の夜の往来をカラコロ、カラコロと通ってゆく下駄の音が冴えて聞える。リーンとすんだ自転車のベルが駛《か》けぬけてゆく。久しぶりに聴く都会の夏の夜らしい物音に、ひろ子は懐しく耳を傾けた。本棚にもたれ、団扇《うちわ》を膝においているひろ子の心に、重吉への思い、一家の柱である息子を失った田舎の母た
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