壕の上には夏草が繁っていた。健吉が飽きて泣きたい顔になると、ひろ子はその夏草の小さい花を採って丸い手に持たせ、即席のおはなしをきかせるのであった。この日は、三時間あまりで十一時半になると、急にぴたりと静かになった。
「変だねえ。ほんとにもういないよ」
望遠鏡をもって、壕のてっぺんからあっちこっちの空を眺めながら、伸一がけげんそうに大声を出した。きのうまでは小型機が来たとなったらいつも西日が傾くまで、くりかえし、くりかえし襲撃されていたのであった。
「珍しいこともあるものねえ」
「昼飯でもたべにかえったんだろう。どうせ又来るさ」
そんなことを云いながら、それでも軽いこころもちになって、ぞろぞろ壕を出た。そして、みんな茶の間へ戻って来た。
「御飯、どうなさる? 放送をきいてからにしましょうか」
きょう、正午に重大放送があるから必ず聴くように、と予告されていたのであった。
「それでいいだろう、けさおそかったから。――姉さん、平気かい?」
「わたしは大丈夫だわ」
伸一が、柱時計を見てラジオのスイッチ係りになった。やがて録音された天皇の声が伝えられて来た。電圧が下っていて、気力に乏しい、
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