くりかえし直次がよく才覚し、よく稼ぎ、よく人に振舞い、よく儲けた手柄を話した。
「ほんに、あの位やわう(柔い)に出来た人間は、たんとないと思いませ」
 そして、登代は、
「直次がよう稼いでくれよったから、こういうことになっても、つましゅうすれば何とか子供らを大きくするだけは心配のうやれます」
と云った。しばらくして、登代はいかにも、遠く手たらん[#「手たらん」に傍点]ものを思い出している風で、
「もうそろそろ重吉はんも、手紙みてじゃありましょう、のう」
と云った。
「そりゃ見てでしょう。どんなにびっくりしていなさるか。早く手紙でもよこせるといいけれど。困るわねえ、ああいうところは。――意地わるい規則があったりして――」
 重吉は、治安維持法によって無期を云いわたされた。網走に移されたのはその年の六月であった。母には、巣鴨の拘置所もぐるりがすっかり焼けたので、漠然疎開のように説明してあるのであった。石田の長男である重吉のこころもちとして、父親が中風で床についたきりであった七年の間、それから直次や進三の入営、除隊、父の葬式、応召、婚礼、又出征、初孫の誕生という時々、ひろ子は出来るだけのことはして人々を満足させて来た。東京が焼け原になってしまって何一つ無くなった、ということも、殷賑《いんしん》だった東京と、その店々の印象を大切にもっている母には事実を疑わないまでも実感から遠いことであろう。
 ひろ子が、作家として、もう五年の間、小説さえ発表させられない境遇にいるという現実も、ここのひとたちに、もとのように頼りになる者としてでないひろ子を感じさせるであろう。
 四歳と二つの男の子たちが、紙風船と、色の塗ってない積木を畳の上にちらかして遊びはじめた。その素木の積木が、その年の九月初め日本橋の三越の玩具部に売っていた唯一の子供たちの遊び道具であった。子供たちに積木してやっているわきの座布団の上に、裾まわし分だけの紺秩父の布地と、ひろ子が母の丸帯を切って来た綾織の布地が、出しっぱなしてあった。ひろ子が東北の田舎からリュックに入れて背負って来た土産のしるしは、こんなものであった。
 五時頃、この家から国民学校に通勤している従妹のしげの[#「しげの」に傍点]が帰って来た。しげの[#「しげの」に傍点]が、白い木綿のブラウスに西日をうけながら、裏の新道を小走りにかけ下り台所口へ入って来て、ただいまと云い終るか終らないに、土間にいたつや子が、挨拶にこたえず、
「しげの[#「しげの」に傍点]さん、お風呂の加減みにゃ」
と云いつけた。子供らと遊びながらひろ子は、それをきくと何となしびっくりした。障子のかげで、しげの[#「しげの」に傍点]の姿は見えない。けれども、そういうのが毎日のことになっているらしく、しげの[#「しげの」に傍点]は黙って向う座[#「向う座」に傍点]と呼ばれる小部屋へ荷物をおいてから、また裏へまわって行った。
 裏山の茂った杉の梢に、溶けるような美しい斜光がさしていた。ほど近い駅の構内で、転轍した貨車がリズミカルな響を立ててぶつかり合いながら接続されている音が、海に近い西国の小さい町の澄んだ大空をわたってきこえて来る。台所から燃木のもえる煙が匂っている。何年もの間ここへ来たとき見馴れ、ききなれているそれらの地方色にかかわらず、自分たち石田のうちのものの生活は変ってしまった。
 東京を立つ前、ひろ子は土産ものをさがして銀座の三越へ入った。がらん洞に焼けた地階のほんの一部分だけを、ベニヤ板や間に合わせのショウ・ケースで区切って、当座の売場にしてあった。紙につつんだ丈の口紅や、紙袋入りの白粉が並べられたりしている。一方の隅に、アメリカのどんな避暑地にある日本土産品店よりも貧弱な日本品陳列場が出来ていた。白樺のへぎ[#「へぎ」に傍点]に、粗悪な絵具で京舞妓や富士山を描いた壁飾。けばけばしい色どりで胡魔化した大扇。ショウ・ケースに納められているのは、焼けのこったどこからか集めて来た観光客向の縮緬《ちりめん》紙に印刷された広重の画や三つ目小僧がつづらから首を出している舌切雀のお伽草子類である。こんなものが商品と云えるのだろうかと怪しまれるような妙な金属の加工品、紐、網、安全カミソリが並べられている。光線の不充分な薄暗いベニヤ板の匂いのする売場の中に、どれ一つとしてまともでない物品のゴタゴタある店内の光景は、大都会の河岸に漂いよった生活のごみという感じを与えた。
 東京に進駐してまだ三四日しかたっていなかったアメリカ兵が、あとからあとからと、その暗い洞のような、何を売っているのか分らない店の一方の入口から、入って来ては、もう一つの口から出て行った。
 ひろ子が、一つのショウ・ケースのわきに立って眺めていると、二人づれの若いアメリカの将校が入って来た。み
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