威力とについての解説がきこえた。銀行のとりつけを防ぐため、経済は安定であると告げる放送。食糧事情について安心せよという農林大臣の放送。これからは平和日本、文化国日本を再建せよと命じる文部大臣。ラジオが途切れる間の沈黙にも耐えないという風で、次から次へ、諭告は、ひろ子達のいる田舎の町に鳴りつづけた。どの家でも熱心に、ラジオをかけっぱなしにして聴いていた。が、聴いているそれらの顔に滲んでいるのは、云いあらわすに術のない一種の深いあてどなさと疑惑であった。今日までこれ程の思いをさせて、勝つ勝つとひっぱって来た繩を、ぷっつり切って、力の反動でうしろへひっくり返るということさえもないかのように、別な紐をつき出してさあこんどはこれを握れと云われても、人々はどういう心持がするだろう。
 半年ぶりで富井の家の電燈も煌々《こうこう》とついて、昔ながらのすすけた太い柱や板の間をくまなく輝かせるようになった。台所の天井に届く板戸棚の前に、大きくて丸い漬物石がいつの間にか転がっていたのが、ひょっこり目について皆を笑わせたりした。馴れない明るさは、テニス・シャツをブラウス代りに着ているひろ子に、自分の体の輪郭までをくっきり際立って感じさせた。井戸端の電燈がついたので、いつ廊下を通っても閉った雨戸のガラスから、荒れた花壇のある深夜の庭が、はっきり見えた。久しぶりの明るさは、わが家の在り古した隅々を目新しく生き返らせたが、同時に、その明るさは、幾百万の家々で、もう決して還って来ることのない一員が在ることを、どんなにくっきりと、炉ばたの座に照らし出したことだろう。強い光がパッと板の間を走ったとき、ひろ子はよろこびとともにそのことを思いやって鋭い悲哀を感じた。
 夜の明るさが、政府放送のたよりなさと拙劣さとを、ひとしおしみじみと感じさせるような雰囲気のうちに鈴木貫太郎内閣が退陣した。そして東久邇の内閣が代った。

        二

 杏の樹の下枝へ結びつけた荒繩の輪と納屋の軒下とにかけて、竿がわたしてある。ゆすぎ出した浴衣を、ひろ子は、その竿にかけている。
 納屋では小枝が、馬鈴薯の腐ったのをよりわけていた。その年は、丁度わるい時季に雨が続いて、その地方では、麦も馬鈴薯もひどく傷められた。殺虫剤を入れた噴霧器を裸の背中に背負った五兵衛が、納屋の格子へ立ちよって馬鈴薯の処理を教えていた。
 納屋の話題はいつの間にか変ったと見えて、小枝が、
「まあ、そうお! たまげたわねえ」
 土地の言葉と東京弁をまぜこぜにして、独特に愛嬌のある云いかたで感歓しているのがきこえた。
 ひろ子が、二枚めの洗濯ものを腕にかけて来て干しはじめると、
「おばちゃん」
 小枝が呼びとめた。
「連隊じゃね、何でもかんでも、持てるだけ持っていけって、わけているんですって。自動車にドラムカンのガソリンまでつけて、もらって行った人があるんですって。――凄いわねえ」
 富井の家の一郭は、開墾村の南よりの端れに近かった。連隊は、北の端にあった。五兵衛の家は、北の町角にあって、連隊には近かった。兵隊たちは、ひもじかったり、茶が飲みたかったりする時には、村じゅうどこと選りごのみなしに南の端の富井の台所の上《あが》り框《がまち》にまで入って来て、腰をかけた。そして、茶を所望したりした。しかし八月十五日以来は兵隊たちの歩く道が、きまった。連隊から、小一里はなれた市中の停車場へ通じる堤下の一本道だけを、続々と兵隊たちが通った。背中の重い荷物で体を二つに折り曲げ、気ぬけした表情の老若の兵士が、重荷で首をうしろへつられる関係上、誰も彼も上眼づかいで、のろのろと、遠くの山並は美しい旧街道を、停車場さして歩いて行った。その街道は五兵衛のところの裏からはじまっている。五兵衛一家やそのあたりのものが、おのずから敏い農民の眼で戦争の間から今日まで、どっさりのことを目撃して来たのは当然のことであった。
「牛肉や豚肉みたいなものまで、とり放題だったんですって」
 主婦らしい羨望が小枝の声に響いた。その頃、一般の家庭ではどこでも、肉類などを買うことが出来ずにいた。
 五兵衛は、小枝の報告ぶりをわきに立ってきいていたが、
「はア、たまげたね。まあ、無えつうもんはまず無えな。毛布だれ、軍靴だれ、石油、石鹸、純綿類から、全くよくもああ集めたったもんだ。民間に何一つ無えのは、あたり前だね、あれを見れば」
 それを自分の眼で見て来た驚きを、披瀝した。
「話のほかよ。奴等、背負《しょ》えるったけ背負って帰れ、って云わっちゃもんだから、はあ、わが体さ四十五貫くくりつけて、営門を這って出た豪傑があります」
「まあ」
 小枝もひろ子も笑い出した。
「そりゃそうさね、営門さえ背負って出れば、そいだけは呉れてやるつうんだもん、一生に一遍這う位、何の
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