播州平野
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)安達太郎《あだたら》連山
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)折々|四方山《よもやま》ばなしをしかけた。
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)万ガ[#「ガ」は小書き]一
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一
一九四五年八月十五日の日暮れ、妻の小枝が、古びた柱時計の懸っている茶の間の台の上に、大家内の夕飯の皿をならべながら、
「父さん、どうしましょう」
ときいた。
「電気、今夜はもういいんじゃないかしら、明るくしても――」
茶の間のその縁側からは、南に遠く安達太郎《あだたら》連山が見えていた。その日は午後じゅうだまって煙草をふかしながら山ばかり眺めていた行雄が、
「さあ……」
持ち前の決して急がない動作でふり向いた。そして、やや暫く、小枝の顔をじっと見ていたが、
「もうすこしこのまんまにして置いた方が安全じゃないか」
と云った。
「――そうかもしれないわね」
小枝は従順に、そのまま皿を並べつづけた。
台の端に四つになる甥の健吉を坐らせ、早めの御飯をたべさせていたひろ子は、この半分息をひそめたような、驚愕から恢復しきれずにいる弟夫婦の問答を、自分の気持にも通じるところのあるものとしてきいた。
東北のその地方は、数日来最後の炎暑が続いていて、ひどく暑かった。粘土質の庭土は白く乾きあがって深い亀裂が入った。そして毎朝五時すぎというと紺碧の燦《かがや》く空から逆落しのうなりを立てて、大編隊の空襲があった。
前夜も、その前の晩もそうであったように、八月十四日の夜は、十一時すぎると空襲警報が鳴り、午前四時すぎ迄、B29数百機が、幾つもの編隊となって風のない夏の夜空をすきまもなく通過した。おぼつかないラジオの報道は、目標は秋田なるが如しと放送していたが、それを信じて安心しているものは一人もなかった。富井の一家が疎開してきて住んでいる町の軍事施設や停車場が猛烈な空爆をうけたとき、空襲警報のサイレンは、第一回爆撃を蒙って数分してから、やっと鳴った始末であった。
十四日の夜は、行雄とひろ子とがまんじりともしないで番をした。壕に近い側の雨戸は、すっかりくり開け、だまって姉弟が腰かけている縁側のむこうには、おそく出た月の光で、ゆるやかに起伏する耕地
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