てはいなかった。あわただしく作られた軍用市は機能を喪失し、川に沿った上《かみ》、下《しも》の町は、機械的に一本の道路で貫かれているだけで、麻痺に陥った。この五十戸あまりがかたまっている部落に今は新しい名がつけられている。
「後家町」
「後家町」の裏の新道を、工廠の方向から時々トラックが走った。ドラム罐をつんでいるのもあるし、材木を積んでいるのもあり、時には山の方へ疎開させた家財道具が逆もどりして来るトラックもあった。しかし、そのどれもが、直接「後家町」に縁はなかった。何故なら、最後のドサクサの間にうまいことをしてドラム罐をどこかへうつしていたり、工廠用の木材を流用する役得をせしめたりしたのは、みんな、工廠関係の男たちであったから。そういう男たちがいる限り町の名は、「後家町」と呼ばれたりはしないのであるから。
母とつや子とが直次をいたむ口調のうちには、直次さえいたならば、時勢の激変でこぼれ出した利得を、この門口から素通りさせてはおかないものを、という思いがはっきり汲みとれた。
石田の家は、息子三人に父親、働くものも男ばかりという生計であった。その中心に、登代が永年の借金暮しを辛棒し破産をもりかえす才覚で人々におどろかれるような勤勉な明暮れを送って来た。母の才覚、深い計量は、重吉こそ欠けていたが、いつでもそれを実現してゆく男たちの素朴な力のつよい腕や背中をもっていた。直次が亡くなり、進三は現役からひきつづいて濠北からかえされず、さりとて登代の寸法で男たちを集めて働かせる商売そのものが無くなっている現在、登代の活動を愛する生れつきは、在って甲斐ないもののようになった。
少年時代重吉が机をおいて暮していた二階の東窓の下に、ひろ子はくたびれの出た体をよこにしていた。別棟で更に東につき出ている台所で、いきなり四歳の昭夫が、
「いらん! いらん! いらんいうたら、いらん!」
と癇声をふりたててどなっているのがきこえた。同時に、はいている大人下駄で地団太ふむ音がした。
「なにいうてるのよ、昭ちゃん。かたい云うから柔《や》わうにしたんじゃないの、じら[#「じら」に傍点]云わんとたべんさい」
小麦と米を挽き合わせた「はったい粉」をねって、二人の子供らは時をかまわずたべていた。そのねりかたがかたい、軟かすぎると、ひろ子がついて間もなくから昭夫はあたけた。
「いらん!」
ガチャッ
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