の帆のようなのも、すべてが物珍しく映った。石がちの土質の白っぽさも、東北とは全く異って櫛比《しっぴ》した町々の屋根、前に見える細い街路も面白かった。二人で来ることのなかった重吉の故郷の景色として、沿線の眺めはひろ子のこころに迫った。
石田の家のある駅にスーツ・ケース一つ下げて降りたとき、町には正月の粉雪がふっていた。ひろ子の髪や茶色の襟巻に白い雪の片がとまった。駅の名だけを重吉の親たちの手紙から覚えていたひろ子は、来て見れば、きくまでもないそこへの道を駅員にたずねた。そして、訪ねて行ったのであった。その頃重吉の家では、まだにぎやかに商売をしていた。米穀、油類、セメント、左官材料、薪、木炭、タバコ、塩。ほかに直次と進三がトラック運送に働いていて、仲仕が雇われていた。中風にかかっている父親もいくらか体の自由がきいていた。突然東京からひろ子が訪ねて来て、
「ひろ子でございます」
と挨拶したとき、重吉の親たちは、にわかにお父さん、お母さんと呼ばれる自分たちにおどろいたし、ひろ子は、母の若さにおどろいた。重吉はひろ子を妻にしてから、故郷へかえる暇なしに非合法の生活に入ったのであった。
他人にきいてひろ子が歩いて来た往還には、時々バスが通っていた。狭い一本道路を、田舎のバスらしい権威で驀進《ばくしん》するから、重吉の家の店のガラス戸も、前の沢田という家の四枚のガラスも、泥はね[#「はね」に傍点]だらけであった。低いトタンの軒すれすれに日に何度かバスは往来した。
やがて直次が入営し、現役からかえり、更に召集されて北支にやられた。日本中で、千人針が縫われ、駅々街々で紙の小旗がふられていた。その留守に重吉の父は歿した。大正九年経済恐慌のとき破産した重吉の一家は、その頃ようよう負債整理がついて自分たちの家だけとり戻したのであった。
進三の入営の番が来た。兄の重吉と弟の進三のいない家へ、三年目に直次が還って来て、母の見つけた嫁のつや子と婚礼をした。
中国や満州に侵略していた日本の戦争は、その時分ますます拡大し、生活は著しく変化しはじめた。統制によって、商売は非常にむずかしくなった。大きい川に沿って、低い峠や林、田圃《たんぼ》などを間にはさみながらとびとびにつらなって上《かみ》、下《しも》にわけて呼ばれているその町と、さらに二里ほど行って海岸に面した田原とが、合併されて市になった
前へ
次へ
全110ページ中42ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング