教・総」ではなくて、荒削の相貌だが眼のなかには精神の動きが見えている白絹である。
ひろ子は、こまかい紺絣のもんぺ姿で、昔の女学生用編上靴をはいている。ひろ子が、のり巻の握飯をたべ終るころ、白絹と「教・総」とはくつろいで話しあっていた。
「満州では、何の御事業でした? 軍関係ですか」
「そうです。が、なあにほんのちょいとしたことでして――」
しかし共通な知り合いの軍人の噂が出ると、
「ふーむ。あれをお知りですか、そうでしたか」
おのずから、自分が満州でもっていた環境を「教・総」にさとらせてゆく。白絹はそういう会話のこつを心得ていた。
「教・総」は、やがて日本皇太子史論という小冊子をとりあげた。が、実際に読んでいる間はごく短かった。視線はじき頁から離れ、上向き加減にもたげられた二分刈頭、閉じられた瞼。その卵型茶色の小心律気な老年に近い顔には、能面のように凝固した表情があらわれた。唇は、その能面の上におかれた一本の短い色のさめた糸のきれはしのようになった。内心に一つの渦があって、外界の刺戟がゆるむと、忽ち全存在がその渦巻の中心へと吸いよせられる。そういう気配が感じられた。そしてその能面の表情には、微塵《みじん》も明日の閃きが感じられなかった。
名古屋を過ると、通路まで汗と塵にまみれた復員者とその荷物で溢れて来た。
はじめ元気に冗談も云っていた片脚の傷痍軍人は、列車が次第に目的地へ近づくにつれて何となし沈みがちに落付きを失って来た。京都に妻子が疎開していた。二年ぶりで帰る体を先ずそこに休めようという計画なのであった。
「電報がうまくついていればいいんだが――」
ひろ子をかえりみて、
「この節の電報は二日じゃあぶないでしょう」ときいた。
「よっぽど工合がよくないとね」
東北の町から、鮎沢のうちへ打った電報は、ひろ子が到着して、次の日まで逗留している間にさえ配達されなかった。
「弱ったな。荷物さえなけりゃ何とかなるんだが」
網棚の上の大きい義足の木箱を見上げた。
「お降りになるとき位、みんながお手つだいしますよ。駅のひとだって放っておかないんだし。――荷物は一時あずけにして、あとからとりに来ておもらいになれば」
「どうもすみません。じゃ、そうでもするか」
頭へ一寸手をやって、神経質に笑った。
「何しろ、はじめて社会へ出たもんで――これで病院にいた間は、同じよう
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