礼いたします」
うまそうに、その杯をのみほし、更にもう一杯のんで、食事にかかった。細々といろいろの食べものを、いくつかの包みにわけてその竹籠に入れて来ているらしいのだけれども、その反歯で日やけした、眼つきの明るく柔和な男は、決してその包みを竹籠から出して、ひけらかすような食べかたをしない。遠慮がちに、しずかにたのしんでいる。一見して土木請負業と思える万端と、少しかわって特色のある眼つきとそのとりなしとは、ひろ子の興味をひいた。軍人も、弁当をひろげた。それは竹の皮につつんだ三個の握り飯と佃煮と梅干である。若い従卒が、通路の荷物の上にもたれるようにかけていた。その従卒が水筒から茶をついだ茶碗をわたした。白い厚焼の、どこの役所でも使うものであるが、そこに二つの字が入っている、「教・総」と。陸軍で、教・総と云えば、教育総監関係しかないだろう。この軍人は、では、そういう部署の、そういう茶碗を人前でも使う位置にあるものなのだろう。今はぬがれている軍服の上着に肩章も襟章も、もがれてついていなかったことが思い出された。上着には略章のいろいろな色だけがつけられていた。剣も吊っていない。丸腰で入って来た。先着して座席をとっていた若い丸顔の従卒は、挙手の礼はしないで、ただ起立して、その席をゆずった。それらの光景を、ひろ子は東京駅の混雑の裡に思い出すことが出来るのであった。
三個の六分|搗《づき》の握り飯は、誰の目にも質素な弁当である。湯呑茶わんについている「教・総」という二つの字、それから推察されるその軍人の地位、それらは質素な弁当を当然に思わせた。
ひろ子は三日前、東北のある町から東京まで戻った。途中若い海軍士官とのり合わせ、彼が車掌と論判し、互に辱しめ合う苦しい情景を目撃した。苦悩が剣相さとなってあらわれている蒼い顔で、その若い士官は論判の後弁当をひろげ、部下にも食えと云ってさし出した。それは、びっくりするほどぜいたくな、世間ばなれのした料理であった。ぜいたくな食いものは、周囲の乗客の注意をひき、一層その若者に反撥させた。若い士官は明らかにそれを自覚していた。が、それが何でわるい、という肩つきで、まずそうに乱暴にそれを平げて行った。
下関近くの、重吉の故郷へ向ってこの列車にのりこんでいるひろ子は、東北から上野へ向って来たとき同様、旅客の中にほんの僅な女の一人旅であった。
東
前へ
次へ
全110ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング