網目にみちているのであった。
網走へ、と思ってこの行李をつめるとき、ひろ子の胸には一筋のうたの思いがあった。選んで入れる一つ一つの布《きれ》について、そのうたはひろ子の胸に鳴った。そのうたの思いは、このような形で現実の内容をもって来た。
労苦に備える勇気のこもった気持で、翌日ひろ子は街道をあちこち歩いて、移動の手続きをしたり、旅行外食券に代えたりした。
四
運よく、その列車の中でひろ子は座席がとれた。
その代り、坐ったと思ったらもう動けなくて、送って来た小枝に声さえかけられなかった。
駅を出るとじき、通路にまで立っている旅客をかきわけて、
「検札をいたします」
中年の大柄な車掌が、巻ゲートルで入って来た。
「これは二等車ですから、乗車駅から三倍の賃銀を払って頂きます」
そういう声につれて、後部で押し問答がはじまった。押し問答の尾をひいたまま、ひろ子のところへ来た。切符を出して見せた。鉛筆で切符のうらにしるしをつけて、先へ行くかと思ったら骨っぽい指をのばして、
「それは御使用ずみか?」
と、ひろ子が手にもっていた裂地《きれじ》づくりの紙入れをさした。その意味がすぐのみこめなくて、ひろ子は、見せた切符を挾んでおいた黄色い内側を開けたまま、
「どれかしら」
「これは御使用ずみですか」
同じ切符入に挾んであった山の手線のまだ使ってない切符をぬきとった。そして、ぼんやりしたひろ子が、一言も云わないうちに、
「頂いておきます」そして、次の番へ移った。
その頃、地方新聞は不正乗車の激増を大きく扱っていた。ひろ子の乗った駅から小一時間先の大きな駅では、毎日二百人以上の不正乗客があって、それは益々増加しつつあると書かれていた。この列車は、その都会が始発である。車掌は気を立てている。いかにも過労らしい、肉のつくゆとりのない肩のあたりで制服は色あせている。この車掌が、山の手線の切符に対してまで責任を負う必要があるのかないのか分らなかったが、ひろ子はむしろ車掌の癇癪に同情した。鉄道従業員たちは、機銃の恐怖の中であれだけの努力をしとおした。復員、進駐と、その後寸暇も与えられていないのであった。
ひろ子の斜隣りで、二十歳をすこし出たばかりの海軍士官の外套を着た神経質な顔つきの男が、まだ少年の丸い顔をした部下らしい青年をつれて大荷物をもちこんでいた。それが
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