って、村へ燃料として分配された。銀灰色の塗料から、きつい揮発性の匂いが立った。今は街道じゅうどの家の背戸からもこの匂いがしているのであった。
 縁側に立ってその光景を見物していて、ひろ子は幾度か腹から笑った。小人間たちの嬉しそうなこと! 全く遊戯にうちこんでいる。ガソリン・タンクというものを目の前に見るだけでも一大事件である上に、それをころがし、叩き、のっかってもいい。おまけに、大人は壊してくれと頼んでいるのだ。ワッセッセ! ワッセッセ!
 ほんとうにこの懸声で、少年たちは三つのタンクをリアカーにつんで、分配所であった国民学校の庭から運びこんで来たのであった。
 戦争が終ってからの、子供たちの遊びぶりがすっかり変った。警報が鳴り出すと、どんな親友でも、又どんなに面白いことをしている最中でも、子供らは一散に家へ駈け帰ってしまった。伸一は、それを悲しがって泣き出したことがあった。
 少年たちが、心も体もとろかして、集ったり散らばったり、穴をきり開いたタンクの胴に入って大海洋上の船を想像したりしてさわいでいる光景は、ひろ子を感動させた。平和とは、人間の生活にとって何であるか。それを深く感じさせた。
 そのとき、門柱のところからすーと、片脚を自転車からおろして、郵便配達夫が、内庭へのり入れて来た。
「おばちゃーん! ハンコだって」
 寸刻をおしむような声で、伸一が叫んだ。
「どちらの? 富井の? それとも石田?」
「石田さんのハンコ」
 来たのは書留速達であった。石田の母から来ている。立ったまま、ひろ子は封を切った。母は型どおりの時候の挨拶をのべ、秋めきましたが、とひろ子の安否をたずねている。
 読んで行って、ひろ子は、思わず一二歩体を動かした。誰かに訴えようとするように、少し口をあいて顔をもたげた。広島で重吉の弟の直次が生死不明となっているのであった。
 直次は、三度目の応召で広島に入隊した。それは、七月中旬のことであった。只今となれば、いずれ内地勤務のことと存じ、という母の手紙を、ひろ子も同じかすかな安堵でよろこんで読んだ。八月四日に直次は休暇で帰って来た。そして、五日の夕刻、いそいで隊へ戻った、六日の朝、丁度朝食の時間に、広島の未曾有の爆撃があった。
 営内のトラックに三日後までいるのを見たという者があるが、詳しくは何一つ分らない。絶望としか思えませんが、せめては死に
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