んだ。村じゅう、気がぬけたようになった。さてそのあと、ここの農民たちの心に、真先に浮んで来る考えは何だろうか。ひろ子は、関心を抑えることが出来なかった。
 八月九日、夕方のラジオで、ソヴェト同盟が日本に宣戦布告した公表があった。そのとき、五兵衛は畑がえりで富井のうちの縁側に休んでいた。迅速に占領された北朝鮮や満州などの戦略地点が報道されると、五兵衛は、野良もんぺを穿いただけの裸の体を、ぺったりとうつ伏せて縁側ごしに畳の上へ汗で黒く光る顔をおとした。
「日本も、はあ、こんで、仕舞った!」
 ニュースがすんでから、ひろ子が、自分に向って納得のため、というように云った。
「しかし、此は案外な事なのかもしれないよ。浦塩から日本まで爆撃機で三時間位でしょう。本当に潰す気なら、どうして、そっちをしないで、朝鮮や満州を抑えているのさ、ね? 始りにキッカケがいる、終るにもキッカケがいる、そんなこともあるんじゃないかしら」
「――なるほどね」
 五兵衛は頬骨の高い顔をもち上げて、渋色になった手拭で顔の汗をふいた。
「なるほどね、当っているかも知んねえ」
 その五兵衛にしろ、ポツダム宣言というものにつれて、変え得られるものとしての、自分の生活を考えていなかった。五兵衛は富井の土地をかりている。だがその土地について考えていない。
 勘助のうちでは、占領軍が、すべての農作物を徴発してしまうのではないかと、やたらに心配した。ひろ子に、くりかえし、その心配を訴えた。勘助の心配はそこに止った。勘助もよその土地を耕していた。そしてその土地について考えているようでもないのであった。
 人民の歴史が飛躍する大きいテーマの一つと感じられた題目の一つは、少くともこの界隈の農民の欲求として、その時期には把握されていなかった。そのまま種板はもう別の一枚にとりかわって、目先の物資の奪い合いに、焦点がずれて行っているのであった。
 土間で代用食の玉蜀黍の皮をむきながら、小枝はしみじみと述懐した。
「ほんとうに、この頃はどこの奥さんたちも大したものねえ。かなわないわ……」
 小枝の生れつきは、そういう意味での敏腕ではなかった。主人の行雄と云えば、戦争中、利益にありつく動きかたをする気がなかった通り、事情が急変したからと云って、急にどうという賢こげな動きかたもしなかった。富井のうちのぐるり一帯には噂話ばかり横行してい
前へ 次へ
全110ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング