ある、ということであった。
ひろ子の文学が、最も真実に恋愛を失った若い娘たち、生活の柱を失った妻たちのものとなろうとしたとき、ひろ子が書くあらゆるものは発表を許されなくなった。ひろ子のすべての熱意、すべての表現の欲望は、ひたすら重吉への手紙へばかり注ぎつくされた。
そういう明暮になってみて、ひろ子は、自分が一人の妻として、今の日本にあふれている数千万の妻たち愛人たちよりも、むしろ幸福な者であることを痛感した。ひろ子は、重吉の居どころをはっきり知っていることが出来た。規則が許す範囲の面会が出来た。未決のうちは、自分で心をくばった衣類をきせておくことが出来た。そして、何よりも重大なことは、ひろ子には手紙が書けることであった。重吉もひろ子に手紙の書けることであった。
数万の妻たちの条件はそれとはちがっていた。彼女たちの良人は何処にいるのだろう。妻たちにそれさえはっきりとは知ることが出来なかった。今来たこの手紙をよんでいる、この瞬間、良人のいのちは果して安全であるかどうか。誰が知っていよう。
その心配に焦点さえ与えられない。絶対なそのへだたりの感覚さえ、遙かにぼやかされてしまっているはかない別離。ひろ子はその現実のむごたらしさを想うと耐えがたかった。そして、たとえその妻たちの留守居はまだ二三年であり、或は四五年であり、自分の独りぐらしは十余年であるにしろ、ひろ子は自身の苦痛において謙遜になった。
何かの意味で眠れない夜々をもたない女は、日本にいないのであった。
四日ばかりたった日、ひろ子をひとしお衝き動かす記事が出た。外人記者が府中刑務所の一部にこしらえられているナチスまがいの予防拘禁所へ行って、徳田球一、志賀義雄その他の思想犯と対談したニュースである。
ひろ子は、くりかえし、くりかえし、その記事をよんだ。冷静な報道のかげに、はやまり高まっている獄中の人々の鼓動が脈うっていた。大なる精力をもってほとばしる談話。殺されなかった人間性の奔流が感じられた。鉄格子の際の際までひしめき出てその間から外を見、待っている人間の群がある。その眼の光がある。ひろ子は、涙が流れて、とどまらなかった。
たしかにこれらの人々の声は、きこえはじめた。――だが、あの一つの声は? そして、遠くにあるあの眼は?
縫子が、となりの座敷で、ひっそりと縫物をしていた。うしろに、叔母の古風な大
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