やっと接見室まで出て来た夏の日、重吉は、椅子にちゃんとかけている体の力さえまだ無かった。ねまきを着て、ずり落ちたように椅子にもたれこんでいる重吉の髪がすっかり脱けおちて、テーブル一つをへだてたひろ子のところから見ると、生え際がポーとすいて見えた。それは、絵にかく幽霊の髪の生えかたそっくりであった。ああ、これはお化けの絵にある髪だ。ひろ子は目を見開いてそれを見つめた。そんなに、死にかかったとき、重吉は、やはりひろ子の救いとなる笑顔をもっていた。そして、その笑顔をみれば、おのずからそれにこたえて、ひろ子の丸い顔も、いつしか爽やかな、さざなみのようなこころがうつった。
けれども、ひろ子は、時々自分にどんな夜があるかを知っていた。おのずから、重吉にもそういう夜が、或はそういう永い昼間があることを感じていた。様々な夜と昼をとおして、自分たちが不思議な一艘の船であることを感じて来た。夜と昼とは、あてどもなく繰りかえされる海の波のようなものではなく、進む船にとってはそこにあと戻りすることのない時間の経過があり、歴史の推移があるのであった。
月が西にまわって、蚊帳の上に大名竹の影が少し移った。どこか遠くの山よりで、故郷へかえる朝鮮人の酒盛りがあり、かすかに謡う声や手拍子の音が風に運ばれて来た。
十五
重吉のうちへ来たとき、リュックを背負って、女学生靴をはいたひろ子は、やせて、色も黒くやつれていた。
田原へ来て、笑うこともふえて、ひろ子はいくらか、ふくよかになった。朝起きて、鏡を見て、
「ほら、又すこし美人になった」
と冗談を云った。
しかし、今眠られない夜がはじまった。ひろ子は、眠った夜については、話したが、その夜々が眠りを失ったとき、決して誰にも訴えなかった。眠れない夜をもたないで生きて来ている人々というものが此の世の中にあるだろうか。まして、戦争がはじまってから。――ましてや、戦争は終ったが、幾百万のかえらぬ人々があって、その母や妻たちが、すっかり相貌の変じた彼女たちの人生について、不安をもって思いめぐらしているとき。――
重吉が獄中生活をはじめた初めの間、ひろ子と同じ立場の留守の妻たちは、少くなかった。思想犯の妻たちは、良人の入れられている拘置所の待合室でいつの間にか知り合い、事件について話し合い、互に元気を与え合った。
数年たつうちに、待合
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