って教師の立場は複雑になった。
「私、とても、ようやれんもの。私、ほん、ほん、子供はすき。可愛うてしようがないの。ぴたっと注目して、先生のいうことをようきいているときの子供ら、涙が出るようじゃわ。父兄とは外交みたいで、子供ら教えるのと全くちがうじゃもの」
 さわ子の教えている国民学校は爆破されて、工廠が、宿舎につかっていた建物のせま苦しい食堂に五十三人もの小さくない学童がつめこまれていた。机もなく、椅子もなかった。板張の床の上にギッチリつまって坐った。ものを書く時、児童たちはつくばって、前の列の子供の尻に頭をぶつけて書かなければならなかった。
「ほん、あまりえろうて見ていられんの。三十分もたつと子供ら赤い顔して苦しうなって、よう落付いていられんのよ」
 さわ子たち若い教師は、校長に交渉し、工廠に交渉し、市にまで交渉して、保管されている床几を学童たちに使わせるように、そして、食堂の板壁をぬいて拡げ、そこを教室らしいものにするようにたのんだ。校長は工廠に責任をゆずり、工廠は、工廠所属のすべての建造物は、接収されるまでは市に移管されていると説明した。市役所へ、教員たちが行ったらば、市は大蔵省とかにその責任をゆだねられているとのことで、その大蔵省は東京にあるのであった。
 さわ子は、工夫して、時間割のやりくりをはじめた。半数の学童が算数をやるような時間に、半数は外へ出て体操や作業をするようにした。これは、教師の負担を多くすることであったが、子供らは救われた。今では、そこにつめこまれているすべての学級が、そのやりくりで運営されているのであった。
 田原ではラジオがどうやらきこえた。女ばかりの一家ではあるがみんなが、九時のニュースを大抵かかさずきいた。ある晩さわ子は読本をもって来て、ひろ子に相談した。大東京という題目で書かれた一章であった。
「こんなにいろいろ書いてあるけれど、今の東京はまるで違っちょろうと思うの。どの辺がのこっているのか、よう分らんのよ。子供らに、もう本当のこと教えなければ、すまんと思うの」
 福島にいる伸一が、丁度休業中の宿題にそこを出されていた。ひろ子は、地図を出して一九四五年のその夏、現実に在った東京を説明してやった。さわ子が、赤い麻の服を着て、姉の縫子につれられて、子供らしくむく犬のついたブックエンドを伊東屋で買って貰った頃、東京は、たしかに読本にかか
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