分らないということは、一つだってなかったことよ。こんどだって、立派に、壁までもうつけはじめたじゃないの」
「つや子は、わたしのすることが気に入らんと、きつうおこりよって。おばあちゃんのように、人ばかり頼んでも、たべさせる御飯だけでもせんないいうてじゃが、男たのまいで、どう、なろうかいの。女ばかりで……」
つや子は、そろそろとうちのものばかりで片づけて行こう、というのだった。入費もかからないように、と。しかし、実際にそれは不可能であった。つや子は、落ちた上瞼を蒼ませ、一つも笑わず、頬をひきつらせて、しげの[#「しげの」に傍点]や縫子に指図をして働き、母の意見をうけ入れなかった。子供たちが、不潔なぬれたべた土の往還や土間に、裸足で腹をむき出して遊んでいる。それを見かねて、せめて下駄をはかせて、と云っても、とり合わなかった。自分が裸足であった。直次に死なれた悲しみに重ねて起った災難を体のよわいつや子が、細い自分の二つの肩だけで担わなければならぬように思っている。つや子が良人のいない一家の主婦として自分の権威と責任とを感じれば感じるほど、母の登代が積極的な気質なのとは反対の気立てがつよくあらわれ、そこに切ない空気がかもされるのであった。
ちょっとしたくつろぎの雰囲気も、瞼に剣の出たつや子の顔を見ると、おのずから消散した。気のつまる昼間の労働でつかれ果てた四人の老若の女が、燈心の明りでぼんやり照らされ、枕を並べて何の情趣もなく睡っている夜中、ひろ子の眼は冴え、心は重く圧せられた。
山陽線、呉線、山陰線、どれも水害を蒙り開通の見込たたず、ひろ子は東京にかえるどころか縫子と直次の調査にゆく望みさえも失った。
毎日一定の時刻になると、干しものだらけの部落のむこうを、線路沿いに徒歩連絡する旅客の群がバスケットを下げた子供まじりに通って行った。列車不通で、重吉への手紙もとだえた。大阪から配達される新聞も来なかったし、ラジオも水に漬って駄目になった。
日毎に生活のしぼりがちぢまり、不自然な敏感さが生じ、ひろ子は自分まで、過労な女ばかりの心理葛藤に絡まりそうに感じた。
沈んだこころもちで、裏に出ていたら、濡縁の下に大籠が一つ放り出してあった。濡れた反古がつまって腐りかけている。一つの封筒の上書の字が、ひろ子の目についた。それは、特徴のある大柄な重吉の筆蹟であった。石田隆吉様と、
前へ
次へ
全110ページ中62ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング