い時分の話をきくのである。風は日一日とすさんで雪の降りつもった山からは、その白さが下へ下へと流れて来る。
始めての雪の降った前の晩の寒かった事と云ったら、私でさえ、床の中でガタガタするほどだった。
[#ここから1字下げ]
「寒くはないか。
[#ここで字下げ終わり]
ときく祖母の声さえ震えて居たので私は女中に湯タンポを入れさせた。
[#ここから1字下げ]
「お前が居なければ、私が云うまで気をつけて呉れるものはない。
[#ここで字下げ終わり]
祖母が涙声で云った時、私は、急に母の居る処へ飛んで帰りたいほどの、どうしていいか分らない、悲しい様な淋しい様な気持になった。私は「何故こんな処へ来たのか」と悔む様な気持になりながら涙をこぼして眠ってしまった。目を覚した時は二時頃だったろう。
あんまり風がはげしい。雨や風のひどい時は、恐ろしい様な気持がして眠られない私はきっと、この風の音に眼をさまされたのだろう。障子のガラスについた小障子をあけて雨戸のガラスをすかして見ると、灰を吹きつける様に白い粉が吹きつけると一緒に、ガタンガタンと戸がゆすれる。こんなにもひどい吹雪を見た事はなかった。始めの間は珍らしい気がして見て居たけれ共、段々時が立つにしたがって私は恐ろしくなって来た。私は此上なくいやなのだけれ共、祖母がきかないので、部屋の中は真暗である。二つの床をぴったりとよせて枕屏風が暗い中でも何か違った暗さに私達を取りかこんで居る。
一尺一寸位の四角な面に絶えず白い粉が乱れかかって、戸は今にもたおれそうにガタガタきしんで、はめ込んだガラスの一種異ったビリビリ云う音が寝しずまった家中に響きわたる。下らないものでも見つめて居ると恐ろしくなるか又は嬉しくなるものだと私はいつでも感じて居る。明るい中でみつめるものの総ては土でも木でも色々な日用品でも皆、自然《ひとりで》に微笑が湧きのぼる様な柔い気持になる。けれ共夜の暗い中で物を見つめて居る時の恐ろしい事と云ったら、もう躰がすくんでしまう様な、顔を掩わずには居られない様になる。私はじいっと眼を据えて白い粉雪の飛びかかる四角い処を見て居るうちに段々その四角がひろがって行き、飛び散る白いものも多くなり、それにつれて戸の鳴《な》る音さえ、ガンガーン、ガンガーンと次第に調子をたかめて行って、はてしもなく高く騒々しくなって行く音は、家中のありとあらゆる戸――袋戸棚の戸でも、戸棚でも、ましては枕元の屏風からさえ響いて来る様に想えた。
祖母の寝息さえ私の耳には届かない様になった。こんな事は勿論、私の妄想にすぎないと知りつつも、此上ない恐れに心を奪われて、いきなり枕へ頭を下《おろ》すやいなや、夜着を深くかぶって、世界中たった一人の身になりでもした様な、たよりない気持になって、静かな眠りに入ろうとした。東京に居たら、こんな時、私は母の床の中へかくまってもらう。どんなに恐ろしくても、安心な気持になって母の手だの袂だのを握って気のしずまるまで置かしてもらう。私は火を吹く時の様に、頬をかすかに、ふくらませたり、すぼませたりして寝入って居る祖母を起す気にもならなかった。
安眠が出来ないまんま朝早く起きると変な工合に雪が積って居るのを見つけた。北からのひどい吹雪だったのですべて北に面した方ばかりに吹きよせられた雪が積って居る。前の庭の彼方《むこう》を区切って居る低い堤には外側の方がひどく白くなり立木の皆がそうである。雨戸はことにそれがはげしく北の雨戸は随分あつくかたまって、戸袋に入れるのに女中は雪を箒ではらい落したほどだけれ共、南側のはほんの少しほかついて居ない。
長く此処に居る祖母は、「こんな事に驚いて居るなら三尺も雪が積る時はどうする」と笑った。実際私はまだ七寸より厚く積った雪を見た事はない。
小学校の先生は、自分の家の縁側に出て、
[#ここから1字下げ]
「ひどく吹きやしたなあどうも昨晩《ゆうべ》は妙に凍《しみ》ると思いやしたよ。
[#ここで字下げ終わり]
とこっちの縁側へ朝のあいさつをした。女中は手がかじかんで、湯のみ茶碗を破って仕舞うほどだった。朝になってもまだ、少し許り吹雪めいたものがして居るので女中等は少し遠くにはなれてある納屋へ薪を取りに行くのさえ出来るだけのばして居た。
台所の炉には枯木をうずたかくつんでボンボンもやして居る。もう少しして来て呉れる雪見舞の百姓共をすぐ暖めてやれる仕度である。あばれて気むらな、降り様をした雪なので四辺の様子に、美くしさなどと云うものは少しもない。或る処は、まっ白い海の様に見えるかと思えばそのわきには茶色の草や木や畑がむき出しになって悪く云えば「なまず」だらけの老婆の顔の様にみっともない。祖母と女中は物ずきだと云って随分止めたけれ共、私は、傘をさして足駄を履き、ブルブル
前へ
次へ
全28ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング