でテクテクと歩いて行く。
 中高な門内の道を出ると菊太はチョイと振り返って草の両側に生えて居る道を、ポコポコと小さいほこりの煙をたてて帰って行く。
 甚助の家の方へ曲る頃、祖母はありったけのくさくさを私に打ちあける。
 やさしく仕て居ればつけ上り、きびしくすればろくな事を仕ず、小作人なんかはしみじみ使いたくないものだと云う。菊太の女房はこの上なしのだらしなしやで、針もろくに持てず、甲斐性のない女だと女中まで、くさいものが前に有る様な顔を仕て話してきかせる。
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「菊太爺さんもずるい爺様ですない。
 いつもいつも、どうにかして無理を通して行く。御隠居様も今度は、どうしても許してやんなけりゃあ、いいですっぺ。
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 女中がこんな事を云っても、
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「ああほんとうにそうだよ。
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と云ったぎりその日一日祖母は、菊太の声と顔付とを眼先に浮べていやな思をするのである。
 夜、湯に入りに来た構《かまえ》内の家を貸りて居る小学の校長をつかまえてまで今日の菊太の事を話した。
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「どうもなかなかうまくは行かんもんですてね。
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と云いは云ったが、菊太をけなすでも祖母に味方するでもなく気のない顔をして、飯坂の力餅をもじゃもじゃの髯の中へ投げ込んで、やがて「お寝み」と云って帰って仕舞った。
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「ほんとうに小作男なんか使うのが間違いだ。ああ、ああ、けっぱいけっぱい。
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 床に入ってまで祖母はつぶやいて居た。よっぽどいやだと見える、気の毒な。
 田地の事、作物の事、小作男の不平やら、思わしい収獲を得ない田畑の物などの話は聞いても、それは只、話す人の気休めのために話すので私に相談する事はない、私の聞いても喜ばない事は聞かずに居られる、幸福な事だ。
 一俵まけてくれ、と菊太が願うのは祖母に向ってで私にではないけれ共、やっぱり祖母が思うと同じ様に、そんなに御意《ぎょい》なり放題にして居てはいけない、と思う。
 何故そんなに、いつもいつもきっぱり出来ないんだろう、と思う。
 私までが菊太に対してあんまり良い気持は持たない。私と同じ様に、女中だってやっぱり何となし、変な男だ位には思って居るにきまって居る。
 祖母が、菊太の話を聞くのがいやで連れられて、私達まで何だか知らんが菊太は意くじのない男だと思う。斯んな様にして、家内の人数が多ければ多いほど、何だかいけすかない小作だ、と思う気持が大きくなって、男の気の早いのや息子でも居るとつい云わずとも良《い》い事まで云い、「ひやかし」の一つも云う様になってますます両方の間が不味《まず》くなるのであろう。
 祖母は、「私はもうこの年になって、小作男を泣かせても気持の悪いばかりだから、盆、暮に金をやるのを一度にやったと思って居るのさ」と云って居るから両方で荒い声なんか出す事は決してなかった。けれ共、どうしても願い通りにしてやればつけ上る気味がある。
 どうしたら小作がうまく上り、地主との気持が円く行くかと云う事は、よく考えるけれ共分らない。
 一番、小作をさせないのが良いのだろうけれ共、資産のない、他人の田を働いて生活して居る者は、それを取りあげられたら、この上なくひどい目に会う事になるからこまるし、又地主にした処で小作をさせなければ、家に下男を置いて作らせなければならない。それも、借すほどの田を一人では仕限《しき》れないから小作をさせるより却って手間と費用がかかるわけになる。
 小作男と地主とはどうしてもはなれられないものの様である。何にしろ、一方は取る方で一方は取られる方である。恐らく、年に二度収獲のある土地でも小作男はなろう事なら、一二俵はまけて慾しくて居るだろう。
 ほんとに何かうまい事が工夫されないと困ると思う。

   (四)[#「(四)」は縦中横]

 随分と骨に通る様に寒い風が吹く。
 家中で一番遅く起きた私は寝間着の上に、黒っぽい赤い裏の「どてら」みたいなものを着て、不精に手を袖の中にしっかりと包んで、台所の炉のわきに女中が湯をわかして呉れるのを待って居た。木の枝に火がついて立つ煙が目にしみてしみてたまらないので、
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「こんな煙っぽくっては眼に悪いねえ。
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と女中を見ると、崩れた薪をなおすために煙のまっただ中に首を突込んで何かして居る。こもった様な声で、
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「赤坊《やや》の時から、煙の中で乳すうて居ますだもの。眼が馬鹿になって居ますのだ。寒い朝ですない。風邪《かぜ》引きなさいますよ。
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 若い女中は、私の横顔を何か、さがし物でもする様に隅から隅ま
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