居る。祖母はおつとめにじいっとしてきいて居るらしく時々妙な質問を出して先生をどぎまぎさせて居た。私がだまって居るので、いろいろの事に話が渡って、しまいには、女に女学校以上の学問を養わせる事や、専門的な智能を養わせる必要はない。学問などをするから男を馬鹿にしてかかるなどと云って居た。時々、私をかあっとさせる様な事を云う。まるで私とすっかり違う頭の人に自分の考えを発表した処で無意味だし、又それほど抜けても居なかったから、時々いやあな顔をしながらも一言も返さずにだまって只きいて居た。一段話すと、祖母は梅の汁《つゆ》が自然に発酵した酒を進めた。私も一口なめて見たけれ共、舌の先がやけそうにヒリッとした。随分つよいらしかった。
校長は小さい猪口に三四杯飲んですっかり機嫌になり、自分等が若かった時、寄宿舎で夜中に食物をとりに行って小使だと思って舎監にソーット醤油を呉れと云って、それなり懐に一杯薯を抱いてつかまった事を、顔中の和毛をそよがせながら話した。そして炬燵布団に、髯もじゃの顔を押しつけて居眠りを始めた。祖母は笑いながらゆり起した時、見事な髯に白く「よだれ」のしずくがたった一つつつましげに輝いて居た。その「よだれ」のしずくはすっかり私の気持をやわらげて仕舞った。
翌日とその翌日とかかってすっかり雪解はすんで仕舞った。正月も迫って来た。けれ共、新、旧と二つの暦をつかって居る此村では新と旧と二度正月があるので、両方ともが割合にざっとすまされるのである。別にこれぞと云うほどの事も、この村ではして居ないとは云うものの、荷馬の背に新らしい下駄や一寸した家具がつんであるのも、やっぱり、あらそわれない暮らしい気持がただよって居る。ほんとうに、暮の気持がただよって居ると云う位のもので、あの一番せわしない、掛取りや、来年の準備に必要なものを景気をつけて売って居る商人やの姿が見えないから、いかにもしずかに自然に年の暮が立って行く。十二月の末、それはこの上なく日の短かい寒い時分なので、正月の買物に町へ出掛けるものさえ少ないのである。
東京の友達からはクリスマスの事等を云ってよこした。ほんとにもうクリスマスも「あさって」になった事だと思うと、今更、正月が近い内になったのに驚く。東京に居ればこそ、小さい兄弟に、贈物をしたり、外《ほか》からもらったりしてクリスマスを忘れる事はないけれ共、此んな処に
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