京さ、告げであげますだ。さ、来なされ、そらころぶころぶ。
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爺は、その大きな、私の頭なんかは一つかみらしい変に太くて曲った指のある手で私の手をひっぱり、三つ子を歩かせる様に私を家へつれ込んだ。
この様子を見ると先ず笑ったのは女中で、怒りもならない顔をして祖母は、
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「まあ何て事だえ、甚五郎が来なかったらどうする。
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と云いながら、私に奇麗な足袋を出して呉れた。祖母は、
「鎌足らず公だから、三河屋の呉れた餅を三ケ一ほどお汁《つけ》の中へ入れておやり」と云う。甚五郎は炉で煙草を吸って居る。
鯛の眼の通りな水色の眼玉は、たるんだ瞼をながれ出しそうになって居て、「たて」や「横」の「しわ」が深い谷間を作って走って居る。大抵は頽《は》げた頭の後の方に、黄茶色の細い毛が少しばかり並んで居る。
歯のない口をしっかり結んで「へ」の字形にして居るので何だかべそを掻《かい》てる様に見える。耳のわれそうな声で話すが、自分は非常に耳が遠い。十近く年上の祖母から「耳が遠いよ」と云われるほどである。随分長い間、今小学校の校長の居る処に住んで居て、畑や米の世話をして居たが、気の勝った年寄の召使と主人とは、しばしば衝突が起って、しばらく東京の家の方へ来て居た事もあったけれ共、今は、隣村とこの村の境のどっちともつかない様な処へ息子からの「あてがいぶち」で暮して居る。少なからず抜けては居るが、この爺をこの上なく大切がって居る女房は、百姓共の小供の着物等を縫ってやって僅かの口銭を取って居る。
長い事、煙草をふかして居た甚五郎は「やっこらさ」と立ちあがって、祖母の居る茶の間の入口に小山の様に大きく膝をついて拳固《げんこ》にした両手の間に頽げて寒そうな頭を落す。
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「とうとう降りやしたない。寒い事寒い事。
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と目を細くする。そして私の方を見て、笑いながら、さっきの私の様子を細々《こまごま》と祖母に説明してきかせるのである。お汁《つけ》の中の餅をありったけ食べつくしてから甚五郎は水口から井戸までの細道をつけ一通りぐるりを見廻ってから、手拭をもらって帰った。
それから後、引きつづき引きつづき有象無象が「悪いお天気でやんすない、お見舞に上りやしただ。
と云って来た。その中の或る者は、水を
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