婆さんが永い事かかってカステラを喰べ幾重にも礼をのべて帰った後から、元、小学校の教師か何かして居た人の後家が前掛をかけて前の方に半身を折りかぶせた様にして来た。何でもない、只町に新らしい芝居のかかった事とこの暮に除隊になる、自分の家の前の息子の噂をしに来たのである。
 祖母はこの婆さんを好いては居ない。げびた話ばかりして何かもらうか食べるかしなければ帰る事のない人だからである。
 貧しいと云っても比較的東京の貧乏人よりは何かが大まかで、来た者に何かは身になるもの、例《たと》えば薯の煮たの、豆のゆでたの、餅等と云うものを茶菓子に出すので、家から家へと泳いで廻って居るこの人等は三度に二度は他人の家で足して居られるので、孤独の貧しい頼りない生計も持って居る事が出来るのである。田舎の純百姓で針の運べる女は上等で大方は少しまとまったものは縫えず、手は持って居ても畑に出て時がないので、そこに気の附いた町の呉服屋では襦袢から帯から胴着まで仕立てあげたのを吊して売って居る。この婆さんは呉服屋の仕立物をうけおい、その呉服屋が此村に持って居る貸家に、長い事、不精に貧しく暮して居るのである。
 不幸な人と云わるべき老婆である。全くの孤独である。子も同胞《きょうだい》も身寄《みより》もないので家も近し、似よった年頃だと云うのでよく祖母の家へ話しに来るのである。
 年を取った象と同じ様に体中に茶色の厚いたるんだ皮がはびこって居て、眼も亦それの様に細く気がよさそうにだれて居るのである。大抵は白い様な髪を切りさげて体からいつも酸《す》っぱい様な臭いを出して居るが、それは必[#「必」に「(ママ)」の注記]して胸を悪くさせるものではなく、そのお婆さん特有の臭いとして小さい子供達や、飼いものがなつかしがるものである。笑う時にはいつもいつも頭を左の肩の上にのせて、手の甲で口を押える様にして、ハッハッハッと絶《き》れぎれに息を引き込む様に笑った。その様子が体につり合わないので、笑う様子を見て居る者がつい笑わされるのである。
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「まあ、貴方、郡山《こおりやま》(町の名)さ芝居が掛りましたぞえ、東京の名優、尾上菊五郎ちゅうふれ込みでない。外題は、塩原多助、尾上岩藤に、小栗判官、照手の姫、どんなによかろう。見たいない。
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 祖母の顔を見るやいなや、婆さんは、飛び立っ
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