ひと》が聞いたら笑う事に違いない。
あんまり空想的な事だとは思うけれ共、両親の苦しめられると思う心がつのって小作の十八九の無分別な児《こ》が、鎌を持って待ちぶせたと云う事を聞いた事を思い出すと、何だかそんな気になるのである。
他人《ひと》の身ばかりではなく自分自身にも、甚助の児が小くてよかったと思って居るのである。
祖母は次の間に入って暫く箪笥の引出しを開けたりしめたりして居たが、出て来た時には手に帳面を持って居た。
帳面を始めっから繰って見て渋い渋い顔をした祖母は、
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「今度で十六俵だよ。
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と云いながら、何とはなし重々しい様子で菊太の前に箱すずりとその帳面を置いた。
菊太は幾度も幾度も頭をさげて、乾いた筆の先を歯でつぶしてうすい墨を少しつけて蚯蚓《みみず》の様な、消え消えな字をのたくらせて井出菊太と書いた下へ拇指を墨につけて印変りにする。
その間、祖母は一言もきかず、菊太の前にしゃがんでのろのろと動く手先から、まっ黒になった指を腰の手拭にこすりつけるまで見つめて居る。
書き終えて祖母の前に出すと一通り見てから、
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「良い眼でよく見て御呉れ。
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と私に渡す。進まない様に手をのばして遠くの方で見て「いいでしょう」と云って祖母に返すと、すぐ元の場処に仕舞いに行く。
菊太は、自分の希を叶えてもらった嬉しさに何となく輝いた顔になって、身軽に立って女中に消えた火をなおしてもらったり、茶をつぎなおしたりする。
祖母は気の毒なほどいやな顔をして炉の四辺《まわり》に艷《つや》ぶきんをゆるゆるとかけたり、あっちこっちから来た封筒を二つに割って手拭反古を作ったりして菊太の帰って呉れるのを待って居る。
あきるほど茶をのみ、煙草をふかしてから、
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「御暇《おいとま》いたしますべえか、
ほんとに有難うござりました。
来年はきっとなしますかんない。
お鳥もはあ、さぞ喜びますべえて、
お嬢様もはあ、有難うござりやした。
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と腰をあげる。腰を塵を取る様にパタパタと叩き三つ四つ頭をさげて土間の女中にまで何か云って庭の入口の竹垣に引っかけて置いた、裾の切れた、ボタンもない黒ラシャの茶色になった外套のお化けの様なものをバアッとはおって素頭
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