かった池も、にわかに取り澄まして、近づき難い、可愛げのない様子になって仕舞った。
その頃、かなり一番池とは、はなれて、その岸辺は葦でみたされ堤は見えない処で崩れ落ちて、思いもかけぬ処から水田に、はてしなく続いて居る。
この池の堤の裏を町に行く里道の道とも云うべきのが通じて居る。
何の人工も加えられず、有りのまま、なり行きのままにまかせられて居るので、池は、何時とはなし泥が増して今は、随分遠浅になって居る。
けれ共、その中央の深さは、その土地のものでさえ、馬鹿にはされないほどで、長い年月の間に茂り合った水草は小舟の櫂にすがりついて、行こうとする船足を引き止める。
粘土の浅黒い泥の上に水色の襞が静かにひたひたと打ちかかる。葦に混じって咲く月見草の、淡い黄の色はほのかにかすんで行く夕暮の中に、類もない美くしさを持って輝くのである。
堤に植えられた桜の枝々は濃く重なりあって深い影をつくり、夏、村から村へと旅をする商人はこの木影の道を喜ぶのである。
二番池の堤は即ち三番池の堤である。二番池の崩れた堤は、はるか遠く水田の中にかくれて完全に道のついて居る一方はいつとはなしに三番池の堤の一方を補って気のつかない間に、彼方に離れて仕舞う。
三番池は美くしい水草の白く咲く、青草の濃いのどやかな池であった。
この池に落ち込む、小川のせせらぎが絶えずその入口の浅瀬めいた処に小魚を呼び集めて、銀色の背の、素ばしこい魚等は、自由に楽しく藻の間を泳いで居た。この池は、この村唯一の慰場となって居た。
池の囲りを競馬場に仕たてて春と秋とは馬ばかりではなく、町々の、自転車乗が此処で勝負を決するのが常である。
夏は、若い者共《ものども》の泳場となり、冬は、諏訪の湖にあこがれる青年が、かなり厚く張る氷を滑るのであった。此等の池の美くしいのも只夏ばかりの僅かの間である。山々が緑になって、白雲は様々の形に舞う。
池の水は深く深くなだらかにゆらいで、小川と池の堺の浅瀬に小魚の銀の背が輝く。こうした生々した様子になると、赤茶色の水気多い長々と素なおな茎《くき》を持った菱《ひし》はその真白いささやかな花を、形の良い葉の間にのぞかせてただよう。
夕方は又ことに驚くべき美くしさを池の面と、山々、空の広いはてが表わす。
暑い日がやや沈みかけて、涼風立つ頃、今まで只一色大海の様に白い泡《あわ》を
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