、電車に幾度か「きも」も消して、何の得る処もなく、
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「いやはあ、東京ちゅう処は、はあ偉えこんだよ。
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と帰って行く。耳のそばで十《とお》の金だらいを一時にたたかれた様なガーンとした気持で帰って行くのである。そうしてする土産話は、にぎやかな派手な自動車の事や、三越で何百円とする帯を買って居た奥様の話ばかりである。
雑誌は雑誌で、一文なしで上京して大臣の椅子を占めた人の話や、苦学して博士になった人の話やが山ほどある。若い者の奮発心を起すにはこの上ない事ではあるが、一文なしで上京して大臣になった人などは、大抵維新の時にそのきわどい運命の瀬に立った人ばかりである。義務教育をすましたばかりの若者の頭には時代と云う考えがない。すっかり秩序的になった今の世の中を維新当時とごたまぜにして居る。そして、自分も大望を抱いて東京へ飛出しは飛出しても、半年位後にはやせてしおしおと帰って来るか、帰るにも帰れない仕儀になったものは諸々方々に就職口をさがしあぐんだ末、故郷の人に会わされない様なみじめな仕事でも、生きるためにしなければならなくなる。
東京を一寸も見た事のないものに東京を紹介する雑誌は、責任をもって着実な考えで東京を知らせ、良い処よりも悪い裏面を多く知らせた方がまだ不難だろうとさえ思われる。田舎の若者が、皆が皆東京へばかり出たがって仕舞っては、ほんとうに困る事だろうと思う。
農民はたしかに低級な趣味と智能を持って居るばかりだと云って良い。けれ共、農業をする事の大切だと云う事を農民自身に感じさせたいものだと思う。東京へ東京へと浮足たって居ながらする農業は、目覚ましい発達を仕様はずがない。東北の農業の振わないのは、農事の困難なため、都会へ都会へと皆の気が向いて居る故《せい》でも有ろうと思われる。西国の農民は富んで良い結果をあげて居る。農作に気候が適して居るので、農事に興味があって、自分が農民である事に、満足して、自分の土地以外に移って新らしい職業を得様などとはあんまり思って居ないらしい。東北は気候が悪い。農作の結果があまりよくない。それにしたがって興味もうすいわけだが、農業にしたがう事は、大臣とかわらない、大切な立派な仕事であると自覚し、はたでもまた、雨につけ、風につけての心づかいを思いくむ様にしなければいけないと思う。
とにかく、
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