一七年(大正六年)
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「日は輝けり」(中央公論)「三郎爺」(〔東京日日〕)「地は饒なり」(中央公論)「一つの芽生」
単行本『貧しき人々の群』が玄文社から出版された。
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一九一八年(大正七年)
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単行本『一つの芽生』が新進作家叢書の一部として新潮社から出た。
「禰宜様宮田」(中央公論)
人道主義的作家見習いにはなったが、当時の所謂文壇とはちっとも交渉がなかった。わずかに久米正雄、芥川龍之介などを知るだけで、自分が文壇の中へ入ろうとは思っていなかった。
民族的滅亡に追いこまれているアイヌのことを書きたいと思って北海道へ行った。三月から八月まであっちこっちアイヌ村を歩いた。八月に父が札幌へ用事で来て、一緒に帰る汽車の中でアメリカへ出かけるがついてこないか、と言った。行く気になった。九月二十六日東京を出発した。
十一月十一日、ニューヨークの小さなホテルの露台に立ってヨーロッパ大戦休戦当日の光景を見下ろした。
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一九一〔九〕年(大正〔八〕年)
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ニューヨークで結婚。
「美しき月
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