している、そこに一日いたこともある。
一葉だの、ワイルドだのの影響があった。母が或る時土産に二冊本をくれた。アラン・ポウの傑作集だった。以来、時々これで本をお買いと一円か二円くれた。
女学校の四年ごろからロシヤ文学に熱中しだした。トルストイが最も自分を捕えた。西洋史で教わったローマ法王グレゴリー〔七〕世を主人公にした史劇みたいなものを書いた。わが幼稚なる衒学時代の開始、日本の文壇は人道主義が盛だった。
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一九一六年(大正五年)
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女学校五年、祖母の棲んでいる福島県下の田舎へ小さい時から毎年行っていた。その印象をあつめて「農民」という小説を書いた。女学校卒業、目白の女子大学英文予科へ入学。
「農民」を書きなおし、「貧しき人々の群」という題にした。二百枚ぐらいあった。母によんでもらい、仲よしにもよんで貰った。坪内雄蔵先生のところへそれを持ってゆくことになり、『中央公論』の瀧田樗蔭に会うことになり、少しちぢめて九月の『中央公論』に載せられた。薄謝と書いた紙包に百五十円入っていた。
女子大は一学期でやめていた。
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一九
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