、その年の例外的な暑気と女監の非衛生な条件から、熱射病にかかり、人事不省になった。生きられないものとして運び出されて家へ帰った。三日後少しずつ意識回復した。しかし視力を失い、言語障害がおこり、翌〔々〕年春おそくはじめて巣鴨へ面会に行った。その時はじめて着た着物が、おもかった心もちが忘れられない。作家でこの年投獄された者は私一人であり中野重治は非拘禁のまま執拗に警視庁の調べをつづけられた。評論家、ジャーナリスト、歌人、俳人で検挙された人たちも少くなかった。
    執筆
この年は文学評論集『文学の進路』(高山書〔院〕)、『私たちの生活』――婦人のための評論集――(協力出版社)が出版された。
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一九四二年(昭和十七年)
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この年はまだ健康を回復せず眼も見えず、読書もひとりでできなかった。十月中旬に、宮本の誕生日のためにやっと大きな字でみじかい詩を書いた。読書もできず、手紙さえも自分で書けない状態は私の感情を圧縮した。珍しくこの年はいくつかの詩ばかりを書いた。これは文学的作品であるよりも訴えであり、嘆息であり、つまり門外不出の作品である。
日本
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