り、資本主義国家が第一次大戦後欧州の社会主義化をおそれて、ナチスに投資したことがどれほどの悲劇を招く原因となったかということ、また、ジュール・ロマンの「善意の人々」は理性的な方法を知らなかったために、どんなに善意を翻弄されたかということから私どもの学ぶべき点を書いた。
[#ここで字下げ終わり]

一九四六年(昭和二十一年)
[#ここから1字下げ]
極端な帝国主義日本を武装解除し、民主化しようとする混乱と多忙とが始った。文化の面では文学の新運動ばかりでなく、戦争中もっとも戦争協力を強いられたラジオ、新聞の民主化に着手され、GHQの協力によって日本のラジオの民主化のために民間各界の代表をあつめた放送委員会が組織された。その委員の一人にえらばれた。ポツダム宣言によって日本の婦人が選挙権を得た。婦人の政治的、社会的啓蒙、民主化活動も同時にとりあげられて、CIEの個人的顧問であった婦人たちを中心として佐多稲子、壺井栄、山本安英その他の婦人芸術家をも包括する婦人民主クラブが組織された。その下準備のために多くの時間がさかれた。
三月、総選挙が迫るにつれ、特に婦人のために社会状勢のあらましを知らせる『私たちの建設』という小型の本を書いた。共産党の人民の政党としての意味を説明するラジオ放送をした。選挙期間にはいく度も婦人と作家の立場から政治的な演説をした。私の懇談的、講演的な演説は、いわゆる政治演説とは自ら違った。
八月、岩手、秋田地方へ朝日主催の自由大学講師として宮本と二人で出席した。
九月、四国地方の党会議に出席をかねて旅行した。
この年は文化、生産の各場面に民主化のための闘争が起って、十月から十二月のはじめまで、もっとも高い波であった。年末に新日本文学会の第二回大会で「一九四六年の文壇、文学」を報告した。
    執筆
一月。春桃。
二月。逆立ちの公私。私たちの建設。(婦人のための啓蒙)“どう考えるか”について。
六月。信義について。
七月。ある回想から。播州平野。(長篇小説)
八月。青田は果なし。
九月。風知草。(連載第一回)
十月。琴平。現代の主題。風知草。(第二回)
十一月。郵便切手。図書館。風知草。(第三回)
単行本。『伸子』〔第一部〕。(文芸春秋社)私たちの建設。(実業之日本社)
[#ここで字下げ終わり]

一九四七年(昭和二十二年)
[#ここから1字下げ]
一月から
前へ 次へ
全20ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング