来兄貴に野暮な商売をゆずって、小一里はなれた村の家で繻子足袋を穿き、頸に薄い茶色の絹襟巻をまきつけて、政治や経済の話を声高にして暮していた。順平の家庭は、話の間に大きい金高がしきりに交るような生活の調子であった。どんなに大きい金高でも、それはほとんど例外なしに語られているというだけで、順平一家の実際の生活は、土地の人々の間に祖先の代からしみこんでいる信用ののこりと負債との上に営まれていた。お縫が伯母の手伝いに来ていて貰う月いくらかの手当てが、一家の事情ではまんざらどうでもいいものでないのだけれど、順平の気風は、お縫に向っても、あア場所へ出て見い、女子《おなご》だかてきょう日二十や三十の金はポンポンとっちょる! と云わせた。その話しぶりは闊達で生気があったから、その雰囲気に馴れているお縫には、坂口の爺さんのとりなし万端がいかにも山の中の小百姓らしいしみったれ工合に映るのであった。
お縫は、褪《さ》めた潮染の身ごろをひろげながら、眼頭にあるちょっとした黒子のために却って大変表情的な顔を動かして、坂口の爺さんの方を折々見た。
爺さんは、お縫など眼中にないふうで、市況放送がすむと、むっつりした面持のまま罫紙を畳の上からとりあげ、自分も体を起し、それを懐にしまって、隣りの部屋へいって、ラジオを消した。庄平が、また枕の上から白眼の目立つ上目で見上げたが、坂口の爺は二十年来のその組合仲間に声もかけず、それなり店の方へ出て行った。小柄な爺の体が運ばれるだけでも庄平の寝ている畳は一足ごとにひどく軋んだ。そこら一帯は田圃の埋立て地でたださえ地盤がゆるい上、線路が近くて、汽車の通るたんびに土台からゆすられる。この家も、つい先頃まではいつ競売になるかもしれない状態で十五年間住み荒されて来ているのであった。
坂口の爺さんは店へ出たが、すぐ帰るのでもない。煉炭火鉢へあっち向きに蹲んで、うまくもなさそうに煙草をふかしている。
けたたましく警笛をならしながら、乗合自動車が白い埃を巻きあげて通りすぎた。濛々《もうもう》とした埃はだんだんしずまって行きながら店のガラス戸にぶつかり、明るい昼過ぎの日光に舞いつつ土間へも入って来る。この往還は国道だが、幅は四五間しかない。定期がとおるようになってこのかた、塵埃と泥濘のしぶきとは容赦なくどこの家のガラス戸にもこびりついた。家々はそれを拭くことなどを別に考えず暮しているのであった。
うしろから陽をうけて、紺セルの上被《うわっぱ》りの肩や後毛のさきについたこまかいごみを目立たせながら、おさやが店の土間へ入って来た。店の畳の上にいる坂口の爺さんには別に挨拶もせず、活動的な調子を張って、
「お縫さ、お縫さ」
と奥へ向って呼んだ。
「これ、晩に和えようじゃあるまいか、懸けといてつかあせ」
持って来たちさ[#「ちさ」に傍点]の籠をお縫にわたした。そして、
「どうでござんす。いいところ儲かっちょりますか」
と、坂口の爺さんの蹲っている横に来て腰をおろした。声のなかには、儲かっちゃいますまいが、と真摯な警告の調子もこもっているのであった。永年女手一つで店をまかない、生活の苦労とたたかって来ている悧発な鋭い眼ざしでおさやは坂口の爺さんを見た。
坂口は、乾いた掌で胡麻塩髯の生えた顔を一撫でした。そしておもむろに、
「――こんどは、醤油屋がしっかり儲けよった」
と云った。
「よっぽどつかみよったに違いない」
おさやの、抜目ないあから顔に覚えず誘い出された好奇心が動いた。
「醤油屋た、どの?」
「そこの――醤油屋じゃが……」
どういうわけだか坂口の爺が声をおとしてそう云ったのにつりこまれて、おさやも低い声になって訊きかえした。
「飯田どすか?」
合点をして、
「今度で小一万はたしかに儲けちょる」
おさやは、上被の合わせ目に片手をさし入れてちょっと沈思する顔つきであった。が、それ以上何も云わず、やっとせ、と声に出して店の畳へ上り、襖際によせて置いてある荒れた事務机の前へ座った。その様子を今度は下目で床の中から眺めていた庄平が、
「ヤイ」
喉からの力の失われている声で呼んだ。
「ヤイ……来て」
「何どす? しいどすか?」
「ここがいけん」
「どこがいけません?」
「ここ、ここ」
「あんたもう大分|臥《ね》てじゃけ、ちいと起しましょう、な? 臥てばかりおってもなかなか御苦労なこっちゃけ、のうお父はん」
立って来たお縫も、力をあわせ、女二人がかりで大きな庄平の上体を抱え起して背中に坐椅子をあてがった。
「この布団入れときますか」
「やっぱりその方が楽にあろ」
油単をなおした大紋付の掛布団を丸めて、坐椅子と庄平の背中との間に挾んだ。そうして置いて立とうとするおさやを、庄平は自分の膝を叩くようにしてとめた。
「ここにいて――」
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