うようにもあるが……」
 遠くの角で聞えたクラクソンにつられて、お縫が店先へ見に出た時、一台の乗用がもう暗くて見えない砂塵を捲きあげながら村道を走りすぎた。
「まアええ。きょうはどうで八時じゃろ」
 夕飯の仕度はすっかり出来あがって、土間は六畳から射す鈍い光に照らし出されている。トラックを運転して働きに出ている二人の息子達が戻らないうちは、晩飯にしなかった。二人より先にお縫に湯に入れというものもないのである。
 待たれていたトラックが表で止ったのは、八時も少しまわった刻限であった。
「かえった!」
 おさやは、片ひざ立ちかけながら声を大きくして庄平に告げた。
「お父はん、車が戻りましたで」
 庄平は、低くおろした電燈の前で、先刻から落付かない眼くばりを表の気配に向けていたのであったが、おさやがそういうと、深々と首をうなずけ、いかにも嬉しそうに声を出さずに笑顔になった。大きく口をあけ、顔を仰向けるようにして笑うのであったが、笑いの輝やいているのは瞳だけで、その口元は泣くようにも見えるのであった。
「只今かえりました」
 オバオール姿の正一が、軍手をぬぎながら土間へ入って来た。
「さ、すぐ湯へおいり」
 正一が湯上りの若々しい胸の上に素っぽこ袷をいいかげんに着て、片足で黒メリンスの兵児帯を蹴りながら腰へからみつけつつ中の間へ出て来た時、後へのこって車を掃除し、車庫の戸じまりまでひとりで終った弟の直二が入って来た。
「かえりました」
「どうする? すぐお湯にいるか?」
「――腹が減ってやりきれん」
 おさやは、ついそこに長まっているのに、弾みのある高声で、
「正ちゃん、正ちゃん」
と呼びたてた。
「はよ御飯にしよ。直はお湯はあとまわしじゃと」
 ポンプのところで手だけ洗った直二が、頸のまわりの手拭をはずして拭きながら、
「わしはここでええ。面倒じゃけ」
 土間から腰かけを引っぱって来て、七輪のおいてある縁側に向って陣どった。正一は、大きくあぐらをかいて、長男らしく畳の上の餉台に向った。
 おさやは、湯気の立つめばる[#「めばる」に傍点]の汁をよそってやりながら、
「どうじゃった、長瀬へもまわれたか?」ときいた。
「ああ。二度往復した」
「十四円じゃろ」
「ああ」
「――あしたは日てえ上田じゃ、電話よこしよった」
「ふーん」
 十九になったばかりの直二は、泥だらけのオバオー
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