ているのである。
 この間、順平の次男が土地周旋のちょっとした行きちがいから問題がむずかしくなりかかって、示談金の工面に順平が来たことがあった。初めは、何心なく例のとおりフェルト草履をはいて茶紬の羽織をきた父親のわきに坐っていたお縫は、話がだんだんそういう方へ向いて来たので、遠慮して今のように背戸へ出ていた。庄平の床の前で、おさやと順平とが互に早口に声高に喋っているのが裏まできこえる。おさやのしっかりした早口が熱を帯びて高まって切れて暫くすると、思いがけなく庄平が、力の弱った声帯に必死の力をこめた変に疳高い尻あがりの声で、
「い、いけん! こっちが先や」
 ひとこと、ひとこと全身をふるわせて云うのが、はっきりちしゃ[#「ちしゃ」に傍点]の葉の虫をつまんでいるお縫の耳に入った。何ということなし切ない気持がしめつけてきて、お縫の頬を涙がころがり落ちた。
 思い出すと、そのときの涙が今も胸のなかを流れるような気がする。お縫は、気をかえようとするように急な元気を出して、風呂へ水を汲みこんだ。大きく長い火掻きで松枝をたいて大分水がぬくまった頃、おさやが庄平の濡らしたものを抱えて出て来た。
 大盥へザアザア湯をくみ出して、その中へかさばる洗物をつけ、ギッギッと押えつけた。ほんの暫くそうやっておくと、おさやはすぐ丸い棒をふりあげて、しぶきが顔にはねかかるのをかまわず力一杯バンバン、バンバンたたき、もう一つかえしてこっちを叩きつけ、もうそれですんだことにして、お縫にゆすがせる。おさやは上気した顔でせっかちにバンバンやりながら、
「大きいもんはこれが一番ええ。朝鮮人からも習うことはあるもんじゃ」
 お縫はおかしくなって、しずくのたれる古ぎれを竿にひろげてかけながら思わず笑った。おさやは本気な相好で、まるでバンと一つくらわせさえすれば、洗い物の方でよごれはさっと吐き出すという約束でも出来ているように、確信をもって、簡単にくらわして安心している。それはいかにも活気横溢の気短かいおさやらしい愛嬌である。
 クスクス笑いながら竿をかけ代えようとしたら、物干竿をかける棒の二又のそれに荒繩でくくりつけられている松の枝に、小さい青い松ぼっくりが一つくっついているのが可愛らしくお縫の目にとまった。そしたら丁度その真上の明るい夕空に金色の星が出ているのにも気がついた。どちらも小さく綺麗なその二つの天の
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