くなったのだけれど、順平は、そうは云わず、壁はよく乾かして上塗りせにゃと、壁土についての一見識を快活に披瀝するのであった。
国広屋の一つの気風でもあるのだが順平は、いつも先へゆきすぎ早すぎる自分の思惑を、土地柄にあわせてゆこうとはせず、同じ損でも、思い付きが進みすぎていてする損は男のすたれではないと云った。そして、絶えず何か一攫千金の思い付きがありそうに、或はそれが実現するときでもありそうな気配が順平の立居振舞からにおっていて、家のもの皆がそれにつられ、常に半信半疑ながらもその間に益々茂って行く屋敷の雑草に、痛切な傷心も誘われずお縫も育って来た。
無花果の木の下の小舎から出た白い七八羽の鶏たちは、さもうれしそうに半ば羽ばたきながらかけ出して、溝流れのふちで草を啄《ついば》みはじめた。隣りのハワイがえりの爺さんがこしらえている麦畑を荒さないように、短い棒切れを片手に鶏どもを見張りながら、お縫は、この伯父の一家と自分のうちの生活とは、何という気分のちがいだろうと思った。順平が今度儲けたら、というときは、きっと息子や娘たちに向って、お前らにもと何か買ってくれそうな楽しい話をするのが癖である。そして実行されるのはその万が一だけにしろ、生活には現実と空想のいれまじった不安な期待がそよいでいる。
庄平は、稼がにゃならん、お前らも儲けてもらわにゃ、と二人の若い息子を励まし追い立てるようにして、装《なり》ふりかまわぬ暮しである。一文の損もしない才覚で通すかと云えば、そこはやはり庄平も国広屋の一族で、使っている男にこれまでも幾度か金をつかいこまれた。庄平は、商売上にも伍長の口癖で「作戦アリ」という気象であった。金を使いこまれたりすると店の前に人だかりのするほど荒れた。それでいて、その男が頃合いを計って前へ出て、庄平のいわゆる潔《いさぎよ》い謝りかたをすると、忽ち機嫌を直して、飯を振舞った上酒まで呑ました。
五年前倒れて床につくようになってから、庄平は次第に無くちになった。いつとなし店のきりもりはおさやが主にした。庄平の床は家の中心のようなところにとってあって、そこから左の襖越しに店が見わたせるし、右の襖越しには裏が見わたせた。その店さきから裏までを一日のうち何十度か休む間もなく梭のように働くおさやの紺上っぱりの姿を、庄平はどんよりしながら意地のぬけきらない眼差しで追って暮し
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