と切り出したことは、お石にとって何よりであった。早速三人は、禰宜様宮田の許しを乞うたのである。が、お石は彼が主人であるという名に対してとった一種の形式なので、若し彼がいけないと云ったところで、自分が遣ろうという決心はどこまでも貫徹させるつもりではあったのだ。
話の模様では大変いいらしい。
けれども町の様子や、そういうところの仕来《しきた》りなどを皆目知らない禰宜様宮田は、責任をもって判断は出来なかった。
「俺ら、おめえ等に指図あしかねる。
けんども、はあ何んでもお前等《めえら》が仕合せになってんだら、行ぐも悪かあなかっぺえ。
俺ら、おめえらが仕合せにせえなりゃ、どの道、何よりはあ嬉しいだからなあ……」
自分のような、利口に世の中を立ちまわれない者を父親にもって、何の仕合せも受けられない娘達が、自分等で働いていい目に会って行こうというのに、そりゃあいけない、止せとは云いきれない。云いきれないだけ彼は娘に愛情を持っていたのである。
いやがる者をとめて置いて、もうどうせ潰れるにきまったような家と運命を共にさせるには忍びない。
決心しかねて彼が迷っているうちに、話はぐんぐんはかどって、とうとう娘達は五年間の年期で町へ行くことになり、二十五円の金が親達に渡された。
娘達は、まるで祭り見物に行くように嬉しがって、はしゃいで行ったのだけれども、証文と引きかえに渡された金を見ると、禰宜様宮田は何ともいえず胸のふさがるような心持になって来た。
俺の心に済まないから、どんなことがあっても、この金ばかりは決して使ってはならないと、お石に堅く云いつけて、彼は彼女に知らさないようにして、古|葛籠《つづら》の底へ隠してしまった。そして自分でも二度と見ようとはしなかったので、あっちこっち、散々|索《さが》しまわったお石が、とうとうそれを見つけ出して、何ぞのときの用心にと、肌身離さず持っていようなどとは、夢にも知らなかった。
裏から紙を貼ってある一枚の十円札、まだ新しいもう一枚の十円と五円とは、黒っぽい襤褸《ぼろ》にくるまって今もやはりあの古綿の奥に入っているものと、彼は思っていたのである。
そして、独り遺った息子の六に、唯一の頼りを感じて暮して行くはずだった自分の心が、日を経るに従ってとかく去った娘達の上にばかり傾けられるのを知った。赤坊のうちから眺めて暮して来た彼女等に対して、毎日顔を合わせ、いるにきまったものとなっていたときは、別にそう大していないときの淋しさも思わず、また彼女等が家庭生活にどれほどのうるおいを与えているかも、気づかなかった。
けれども、いなくなって見ると、一種異様の淋しさと物足りなさがある。
ちょうど、絶えまなく溢れ出していた窓下の噴水が、急にパタリと止まってしまったときに感じる通りの心持――何でもなく耳馴れていたお喋り、高い笑声が聞えない今となると、たまらなく尊い愛くるしい響をもって、記憶のうちに蘇返るのである。
どことなく丸味のついて来た体を、前や後にゆすぶりながら、僅かなことにも大笑いする娘達がいなくなってから家中は、何という活気に乏しくなったことか……。
土間の隅や、納屋に転がっている赤勝ちの古下駄や、何かの折に出る古着などを見ると、禰宜様宮田は、字を知らないので手紙をよこせない娘達に、どうぞ仕合せが廻《めぐ》って来ますように祈らずにはいられなかったのである。
禰宜様宮田は、いつもの通り地面を掘っていた。
五間幅の道路は、三四町まっすぐに延びて、一つ大きくカーブしたところから、ダラダラ坂になって、ズーッと下の温泉の中央まで導かれるはずなのである。
もうそろそろ昼頃かと思う時刻になると、彼の仲間として一かたまりになっている七八人の者の中の一人が、
「とっさん頼むぞ、
飯《まんま》の茶あ沸かしてくんな」
と、云って後の方に鍬を振っている禰宜様宮田を振り返った。
「ふんとに、はあ昼だんべ、
とっさんよ!」
禰宜様宮田は、穢《きた》ない小屋掛けへ戻って行った。そして大きなバケツを下げて、足袋の中でかじかむ足を引きずりながら小一町ある小川まで水を汲みに行く。
これは毎日の彼のお役目にされてしまったのである。
あっぱの宮田は、ほんとにはあ機械《からくり》同然だ。何をしても憤らなきゃあ、小言も云わない。頼むぞと云いさえすりゃあ否《いや》と云えねえ爺さまだ。
強い者勝ち、口の先だけでも偉そうな気焔を吐く者が尊ばれるこういう仲間では、黙って何でも辛棒する禰宜様宮田は、一種の侮蔑を受ける。彼の美点であり、弱点である正直などこまでも控目勝ちなところを彼等は、どしどしと利用するのである。
利用するとまではっきり意識しないでも、皆があまりぞっとしないことを、禰宜様宮田のところへさえ持って行けば遣ってくれ
前へ
次へ
全19ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング